元読者3人からなる「月刊OUT勝手連」が、当時の編集部員やライターなど、雑誌にかかわった方たちへのインタビューを通して、18年にわたる雑誌の歴史を振り返ります。

公開日:2025年8月x日
’83年2月号「初笑いアニメ・パロディ大特集」。「ぴあ」「プレイボーイ」「週刊朝日」「FOCUS」などのメディアをパロディにしている。プレイボーイ風の「こんな女の子には、こんなファッションで声をかけよう」という記事では、「ラナちゃんルックの女の子」「クラリス・ルックの女の子」などのタイプ別におすすめが載っている。また「あの人は今…!?」という記事では、編集部員やライターと、さらに当時の投稿常連たちのペンネームをもじった人物たちの10年後の姿(だいたい酷い目にあっている)が書かれている。
そうこうするうちに、OUTで、アニパロの特集みたいのをやったんだよね。
83年2月号ですね。アニパロですけど、ただアニメだけではなくて当時のメディアをパロっていて、これがすごく面白いなと思ったんですよ。『FOCUS』とか『プレイボーイ』とか。
そうそう、そうそう。「こんなファッションで声をかけよう」とか、「あの人は今」とかね。
この週刊朝日風の記事(「ついに逮捕!暴かれる編集長の犯罪」)は、T編集長が特別背任特捜部で逮捕されたって、嘘のゴシップが並べてあって、本当に凶悪で。
すごい凶悪なの。これ、俺のネタ、毒が全部出てるんだもん。
「あの人は今…!?」という記事では、編集部員やライターたちの10年後の姿が書かれてて、それも面白いんですが、さらに当時の投稿常連たちのペンネームをもじった人物たちが出てくる。で、だいたい酷い目にあってるんですよね。
そうだね、戦死させちゃったりとかさ(笑)。(※当時、自衛官で自衛隊のことをネタにしていた有名常連がいた)
これはすごいなと思いました。でもきっと、ここに載った人たちはみんな喜んだと思います。
いい意味で取り込んでるね。悪い意味で言うと常連びいきだけど、常連には常連になるだけのネタがあるのよ。ハガキって、山ほど送られてくるわけ。そのうち本当に残るのってのはほんの少しでしょう。そうなってくるとね、常連になっちゃうのよ。常連の連中っていうのは、やっぱりうまいの。
’84年2月号「アニパロ・スペシャル」 付録の「OUT特製100/2人一首」はアニメネタをかけた百人一首(五十首なので100/2)。「アニメファンのための見栄晴講座」はモテないアニメファン男子がどうやって女の子にお近づきになるかという記事。
みのり書房の近くにあった江戸屋っていうビジネスホテルを一部屋借りて、花小金井と兄貴と…ぱんよめ[21]もいたかな。集まって一晩徹夜でネタ出しをやったの。『アニパロ百人一首」とかね。そうそう、この頃OUTは500円だった。
これ何年だい?『オーガス』[22]やってた頃か。昭和59年…'84年だね。俺のデビューが’82年だから、2年後にはもうこういう感じで、メイン企画を任せるってわけじゃないけど、完全に入ってたんだ。だからこの頃はもう、どっちが本業かわかんない感じになったんだけどね(笑)。
『見栄張講座』もそうだな。『見栄張講座』は半分ぐらい花小金井だぞ。
アニパロだけじゃなくって、「アニメのセルの2〜3枚もあげれば女の子がホイホイついてきた」なんて、ギャグでしょうけど、いま見ると世相みたいなものが出てますね。
これはネタはいいけど、これがものになったのは、はっきり言うとぱんよめのおかげだよなあ。
絵としてちゃんとまとまったと。
見返すと、ほんとに絵がうまいんですよね。
うまいよー彼は。あの『AOI私を責めないで』に「あの文字に惚れた」っていうネタ[23]があって(笑)。本当に、いい年してオーバーオール着て編集部に来てさ。
「AOI私を責めないで」'84年4月号から'85年6月号(榎野彦の名前が出ているのは'84年11月号まで)。花小金井和典と榎野彦による青少年人生相談。イラストはぱんよめ。二人のギャグの掛け合いに、さらにひねりを入れたイラストが笑いを誘う。
今になってからね、ブルース・ブラザース[24]のネタが花小金井と榎野彦と言ったって、わかんないんだよね。「誰だこれ?」って、調べて「当時のライターさんということがわかりました」。これが鷹見一幸だったって知らん人もまだいるしね。
知らない人は知らないですよね。鷹見一幸ファンがこれを知ってたら、たぶんすごく深みがある感じになると思うんですが。こんなことやってたんですねって。
『AOI』は花小金井くんが、文章なんかぜんぶ考えて書いてる。青焼きになってから俺んとこ持ってきて、「これでいいですか?」って言うから、「好きにしろ。もうこうなってから手ぇ加えられるわけねえだろ、馬鹿野郎!」って。
26歳って年齢が書かれています。
あ、そうだね、この時にはもう26くらい。作画グループに入ったのが高校生の時だから、18ぐらいの時なんだよね。で、19、20歳。22の時が、ガンダムか。それから4年間、ほんとにわけのわかんないことやってたな。
いや、しかも警察官をやりながらですからね。
そうよ、いちおう初級幹部で。
この「榎野彦28部衆」って、これは何なんですか?(※'84年10月号の「AOI私を責めないで!」。投稿者のひとりを榎野彦が「榎野彦28部衆の1番衆」と呼んでおり、花小金井に「いったい何なんですか?」と訊かれている。ほかにも埼玉でのアウシタン集会に出没していた模様。)
これはね、当時、幸手町っていうところに住んでたんだけど、独身寮のすぐ隣にOくんっていうアウシタンがいて、無線をやってたのね。で、こっちの録画に電波干渉が入っちゃうんだよ。文句を言いに行ったら、見せてくださいって、寮の俺の部屋に来たんだ。そしたら部屋に置いてあるのが『月刊OUT』(笑)。ほんとに隣だったの。
それで彼が面白がって「榎野彦のファンクラブ作りました」って。「28部衆」は俺が面白がってつけたの。「天龍八部衆」[25]って有名な仏教のキャラクターがあって、そういうのを面白がってつけたんだよね。そしたら、28人はいなかったらしいんだけど、やつが高校生だったから、高校でそれを仲間うちに話をして、どんどんそういうのが入ってきて、ラミネートで28部衆の会員証なんか作りやがって。なにかで検問で免許証見せろってときにその中に28部衆の会員証が…。
「なんだこれは?」
…まさか「俺です」とは言えねぇしな。
当時、彼らでサバゲーとかいろいろやってるのがいて、センサーつけて光線銃で打ち合うやつ、俺も面白かったから持ってたんだけど、当時4丁くらいあったかな、貸したんだよ。そしたらそれが面白かったらしくて、自分たちで買って、毎週末にそいつら集まって、夜中に公園で10人ぐらいでわいわいやってるんだ。そっちの方の知り合いもできたりして。今でもOくんとは年賀状のやり取りしてるからね。
’84年12月号「榎野彦謎の失踪!?幸手町のヘミングウェイ、こつ然と姿消す!」 榎野彦が失踪したという週刊誌調の記事。「緊急報告!!」「大阪のクリーニング店に潜伏か!?」「事件の背後に蠢く"女・金・仕事"」などと煽る見出しが並ぶ。
「榎野彦謎の失踪!?」っていう記事ですが。
実際にしたんだよ。でも実は、そのあともOUT編集部で、ずっとハガキの選別はやってたんだよね。名前は出さなかったけど、企画立てとかそういうのはずっとやってたよなあ。
この記事も悪ノリがとっても面白くて。この下の方に新聞の尋ね人欄みたいなのがあって、「彦 すぐ帰れ 連絡待つ 父 母」とか「弟よ! お前の方がよっぽどまともな社会人なんだから早くもどっておいで RII」とか。
それからこの「盟友の花小金井氏から、失踪した榎野彦氏へ宛てられた平仄(ひょうそく)を踏んでいない漢詩」[26]というのも、すごくおかしかった。
これはね、花小金井だよ、これ全部。いいですか?って言うから、好きにしろつって(笑)。「幸手町のヘミングウェイ」[27]だとかこういうネタをね、花小金井が引っ張りだすんだよ。よく出てくるなっつってさ。あいつのバンクったらね。
いちばん好きだったのは、『AOI私』の中で出てきた「目に青葉 山ほととぎす 初がつお」っていう、わけのわかんない自己紹介[28]がさあ、「すげえな、こいつ!」って思った。
この「事件の背後に蠢く”女・金・仕事”」とか。もうめちゃくちゃ面白い。
ノリノリですよね。ほんとに。
この頃は、こういう楽屋落ちでアンケートカードが来て、数字が取れたからね。
花小金井は電話で打ち合わせするときにあいつからかけてくるんだけど、あいつ電話引いてなくてさ。大家さんに許可もらって下宿のピンク電話を自分の部屋に引き込んで、十円玉を山積みにして打ち合わせをしてた。そういう時代だった。
85年10月号「みのりの科学 アニメ虫(マニア)図鑑」 コミケット・アニメショップ・映画館に集まる虫(マニア)の図鑑という体裁で、当時の典型的なアニメマニアたちの姿を皮肉った記事。コミケットに集まる「パンチラ・カメムシ」や「プロセミ:サインを求められると私なんか、と言いつつ喜びがにじみ出ているのがわかる。ペンネームを名乗っても相手が知らないととたんに不機嫌になる」など。ぱんよめのイラストがかわいい。
名前を出さずにやってた仕事なんですかね。これ、榎野彦って名前は出てないんですけど、「竹 光(タケ ミツル・埼玉農業大学教授)」って書いてあるから、きっとそうなんだろうなと思ったんですよ。
わー、これ俺。これ全部そう。このキャラクターの文章も俺だよ。
ぱんよめさんの絵が…。
ぱんよめがうまいんだよ。いくつかね、ババッてその場で書いたことがあったんだ。「あ、これでいい、これでいこうや」って話になって。毒のある文章はだいたい俺なんだよ。
すごく毒があって、絵も毒があるんだけど、可愛いからなんか許されちゃう。
そうそうそう、花小金井と話したんだけど、「これぱんよめさんの絵がついてなかったら、ただの誹謗中傷ですよ」って(笑)。ぱんよめの絵がついてるから、中和されてるんだ(笑)。
またこの、人を見る目というか「確かにこういう人、いそうだよね」っていうオタクの悪いところをギャグにして…。
これもまたね、刺さる人間じゃない人間に刺さるんだよ、「俺のことを馬鹿にしやがって」って。笑い飛ばせる余裕のない人間には、かなりこういうのはきつかったみたいで。これ、いまだに根に持ってるやつがいるよね。
僕らだと「これ本当に俺たちそのものだよね」って、お互いに笑いあう。
「上から目線で書けるから笑えるんだ」なんてことを言ってるやつはいたわな。
年齢的なものもあったしね、この時になるともう20代後半になってるからさ。10代・20代前半だとか、高校生ぐらいだと、やっぱり5歳の差って大きいよな。だからそれを中和するために、「アニメ・ムカシトンボ」って(自虐ネタも)載せたんだけどね。「昔のアニメのことしか言わねえ(笑)」懐かしいな。
87年4月号「気分はライダーズ・ハイ 榎野彦・花小金井・力押し三五郎バイク夜話(ヨタばなし)」初心者ライダーの不安定な走りに恐怖して対向車が停まったら、その停まったクルマに突っ込んで事故った、とか、ガードレールの壊れた所を道と間違えて海に落ちたら、何も考えなかった後続も3台落ちた、などのバカ話が繰り広げられる。
力押し三五郎さんのバイクの記事がありましたね。
そうそう、バイクのやつね。イラスト頼むつったら、三五郎くんが喜んでやってくれて。
すごい数のカットが載ってるんです。ものすごく力が入ってる。
載せ切らなかったんだよ。
これで載らなかったやつがあるんですか?このクオリティーで?すごい。
そんなになかなか絵は入らないですもんね、普通の記事で。
『鬼屋繁盛記』[29]の連載直前ぐらいなので、すごく気合が入ってたんじゃないかなと。
だと思うね。彼もまた、知り合いの漫画の編集さんから、紹介しろって言われたこともあってさあ、ところが本職を持ってるしねえ。そしたら大徳さんが、しみじみと
「なんで他に仕事持ってるやつしかうちには来ねえんだ!?」って(笑)。
この記事は対談みたいになっていますが?
これは完全に俺と花小金井の創作。俺がぜんぶ書いて。
この「お金以外やったらなんでもしますぅ…(←ふたつめのひざ)」[30]って(笑)。これは面白いなと思ってね、『山猫姫』[31]っていう小説の中で、「拳法使い」だか「体術使い」の女の子がいるんだけど、これが敵の兵士と戦う時にね、
「膝を1つ増やしてあげましょう」ボリ!
この「ふたつめの膝」っていうのは、すごくいいアイデアで残った。「あ、これ、どこで使ってやろう」と思ってね。
この記事は当時、面白がってた人がいっぱいいたみたいで、バイク雑誌をやってる人が「こういうネタばっかりで、なんかできない?」なんて言ってきたことがあったなあ。そのバイク雑誌に来てるバイトの子が「すっげえ面白いすよ、これ」って、編集部に持ってきたんだって。で、バイク雑誌の連中が見て、腹抱えて笑って、「こういう馬鹿話は面白い」。
「いや、あれは演じてるキャラクターが立ってるからなんとかなるんであって、この手段で普通にやったって、面白さ半減ですよ」って断ったんだけどね。
その当時もし三五郎さんに余裕があって一緒にやってたら、面白かったかもしれないですね(余裕はなかったでしょうけど)。そういえば、『モスピーダ』でしたっけ。バイクの架空の試乗体験記[32]なんかもありました。
ちょうどバイクはすごいブームだったこともあるんだよ。高千穂遙が『狼たちの曠野』[33]ってバイクSFを書いてたし、新谷かおるさんの『ふたり鷹』[34]だとか、そのころ少年キングで『ペリカンロード』[35]っていうのもあって、バイク漫画だったんだけど原チャリから始まった高校生の話で、ヤンキーものじゃなくてすごく洒落てたんだ。
こういうスタイリッシュなバイクものって面白いよなって思ってたら、『バリバリ伝説』はでかくなってくし…あれもヤンキーじゃなくて、ちゃんとバイクだけの人間でしょ。しげの(秀一)くんのあの絵だから、「しげのはあの絵と書き文字で漫画を進める」って冗談があったけど。あの時は小説家なんかもみんなそうだし、高千穂遙も大型限定とったり、バイクはすごいブームだった時期だよ。
月刊OUTが面白いなと思うのは、そういう時にコンテンツじゃなくてバイクってものをそのまま特集する、これができたのもOUTのすごいとこだなと思う。大徳さんが「そういうのも面白いから書けよ、載せよう」っていう。また、そういうのをちゃんとやるだけの度量があったのがすごいなと。実はこれ、花小金井と俺とでふたりして「面白いから載せましょう」ってずっと言ってたんだよ。
大徳さんはバイクに興味は?
全然知らない(笑)。
時代時代で、そのときに面白いって思うアンテナが高かったってのはあるよね。OUTはだいたいメジャーが広げるより3ヶ月か4ヶ月、下手すると半年ぐらい前に取り上げてるんだよ。俺らが面白いって言ってしばらくしてからブームになるとかさ、そういう感じが多かった。読者の反応ってのもあったんだよねー。アンケートカードとかダイレクトに来るじゃない。その辺が違うんだよね。ダイレクトマーケティングだから、反応は早かったんだと思う。
あとから俺よく言ったの。「大手だったら二匹め、三匹めのドジョウでも利益が上がる」って。ところがウチみたいな、OUTみたいな雑誌は「二匹め、三匹め」なんて言ってたらぜったい食いっぱぐれる。何がなんでも「一匹め!」
なるほどなるほど。
「で、その一匹目が売れなかったらどうなるんですか?」
「そん時は…、鳥でも探す!」
ああ、別の一匹を探して。
これを支えたのが、やっぱり大徳さんの器だろうね。編集長としてやっぱり大徳さんは面白いな。自分で『アウトシャイダー』をやるぐらいだから、そういう部分もあるのかもしれないけど、とにかくサービス精神にしろ何にしろ、「やってみよう」っていう時に踏み出せる人だから、あの人はすごいなと思ったんだよ。
[21] ぱんだのよめいり(ぱんよめ) : 元常連投稿者、のちにアニメーター。OUTのカットなども多く手掛ける。本名・家入多佳文。2024年8月逝去。
[22] 超時空世紀オーガス : スタジオぬえ原作、東京ムービー新社制作によるロボットアニメ。'83年-’84年。
[23] あの文字に惚れた : 84年7月号『AOI私を責めないで!』。花小金井・榎野彦に恋をしたというネタの後に続いた、「私はぱんよめさんが誌面に登場して以来、イラストよりもあの字形のとりこになってしまいました」という投稿。絵だけでなく字もかわいかった。
[24] ブルース・ブラザーズ : 元の発言は鷹見一幸ファンがどこかの掲示板で「花小金井って誰ですか?」という質問をしていたことに由来するはずですが、記憶はあるもののネット上で発見できませんでした。また確か花小金井・榎野彦コンビが(アニパロ界の?)ブルース・ブラザーズというネタがOUT上であったと思うのですがそれも発見できていません…。
[25] 天龍八部衆 : 仏教において仏法を守護する八種類の鬼神の総称。天と龍を筆頭に、夜叉・乾闥婆(けんだつば)・阿修羅(あしゅら)・迦楼羅(かるら)・緊那羅(きんなら)・摩睺羅伽(まごらが)の八神から構成される。
[26] 平仄を踏んでない漢詩 : 「贈榎野彦 / 榎野彦乗二輪将欲逃 / 忽聞路上踏罵声 / 原稿締切残一日 / 不及花小金井送彼情」。李白「贈汪倫」のパロディ。平仄は漢詩で重視される発音上のルールのこと。
[27] 幸手町のヘミングウェイ : 当時榎野彦は幸手町に住んでいた。'86年に市制施行により幸手市に。
[28] 目に青葉 山ほととぎす 初がつお : 84年7月号『AOI私を責めないで!』。花小金井を好きになってしまったという14歳読者からの投稿に応える言葉。この後に「ボクの心はバイオリン、〇〇子さん、貴女の花小金井です。」と続く。
[29] 鬼屋繁盛記 : 力押し三五郎によるバイク漫画。'87年2月号に16ページ読切を掲載したのち、5月号から連載。バイクショップ「鬼屋」を中心とした登場人物たちが鈴鹿8時間耐久レースに挑むなどする日常を描く。
[30] ふたつめのひざ : 同コーナーの力押し三五郎のイラスト(RX-7に突っ込んだラブユーびんぼの図)から。自分は大腿骨骨折の重症にも関わらず車の弁償をできないことを訴えているという哀れな図。「ラブ・ユー・貧乏」はお笑いTV番組の『オレたちひょうきん族』の中のコーナー。
[31] ご主人様は山猫姫 :
[32] 独占試乗記 VR-052-T MOSPEADA : 84年3月号。『機甲創世記モスピーダ』('83-'84年、タツノコプロ・アニメフレンド制作のアニメ)に登場する変形オートバイについて、バイク雑誌の記事の体裁で架空の試乗記を掲載した。
[33] 狼たちの曠野 : 高千穂遙による小説。刊行は'81年。
[34] ふたり鷹 : 週刊少年サンデーで'81年から'85年に連載された、新谷かおるによるバイク漫画。アニメ版は'84年-’85年、国際映画社の制作。
[35] ペリカンロード : 少年キングで'82年から'87年に連載された、五十嵐浩一によるバイク漫画。アニメOVA版は'86年、実写版は2001年。