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ドライコ世界のキーワード



「ドライコ・シリーズ」六部作の舞台は、こんな部品で組み立てられています。
シリーズをまったくご存知ない方も、これを読めばおおまかな全体像がつかめるかと思います。




ドライデン・コーポレーション

 通称ドライコ。このシリーズの主要な舞台であり、作品世界そのものの象徴でもある巨大企業。
 サッチャー・ドライデンとその妻スージイのドライデン夫妻がすべての実権を握っており、のちに経営は息子のサッチャー・ドライデン・ジュニアに引き継がれることになるが、基本的には全て先の夫婦のヴィジョンと行動力で築き上げられたもの。麻薬取引で荒稼ぎしたあと、経済混乱のどさくさに紛れて勢力を伸ばし、あらゆる企業を買収し、ついには大統領すら意のままに選んだり降ろしたり(あるいは始末したり)できるだけの権力を持つに至った。
 もしもたった一つの企業が国全体を牛耳るほどに成長することがあるとしたら、それは相当にダーティで残酷な企業であるはずだし、その企業が事実上たった一組の夫婦によって切り回されているとしたら、それは尋常ではないバイタリティと業の深さをもちあわせた人物たちに違いない。そういった前提で眺めてみれば納得がいかなくもないが、基本的にはメタファーとして描かれたものと作者も認めている。

ポスト文学
postliteraly
 現実の世界とドライコ世界との隔たりの大きさを最も強く印象づけるのが、登場人物達の話す未来の英語である。あらゆるものにポストまたはネオ・ポストという冠がつくこの世界で、文学もまた姿を変え、そして、どうやら滅んでしまったらしい。
 ポスト文学とは「近頃の若い者は本を読まなくなった」というような簡単な話ではなく、ことばから修辞というものがほとんど失われた状態を意味している。この世界の住人達が話す言葉には名詞が動詞として多用され、助詞が欠け、ひとつのセンテンスの中の単語数がやたらと少ない。ビジネスライクで無機質な言葉だが、時に詩的な美しさを帯びもする。
  英語圏の読者からは、このスタイルに対する絶賛の声がある一方で、「とても読めたもんじゃない」という批判も少なくないようだ。とはいえ、現実の未来の言葉がこれほど美しい響きを持つことはないのではないだろうか。この人工言語には間違いなく作家の美意識の反映がある。

アンビエント
ambients
 ロングアイランドの原発事故による汚染で生まれた奇形の子供達はみなとても高い知能を持っており、親たちが癌で次々と死んでいく中、ひとつに集まり、自分たちを「アンビエント」と呼ぶようになった。その姿は、ボディ・パーツがほんの少し多いだけという控えめなものから全く人の姿からかけ離れてしまったようなものまで、あらゆるバリエーションにわたる。
 さらに、彼らの信念に賛同した健常者が肉体にわざと損傷を加え、「志願アンビエント」として仲間に加わり、数を増している。
 永遠に周囲に存在しているから、というのがみずからつけた呼び名の由来。レスター・マキャフリイの教義を信じ、語り手ジョアナの再来を待ち望んでいる。
 自分たちの話している内容を悟られないためと称して、独自の難解な隠語で会話をする。複数の単語をひとつに合成したり、その他いろいろのやり方でつくられた多数の造語が古英語風の言い回しの中にちりばめられたこの言葉は、非アンビエントの登場人物たちを煙に巻くだけでなく、英語圏の読者をも途方にくれさせ、他の言語への翻訳をとてつもなく困難にしている(本当になにを言っているのかわからない箇所がいくつもありました)。
「ヒーザーン」でマキャフリイの授業を受けていた子供達も後のオリジナル・アンビエントの一員である(マージと呼ばれた少女は「アンビエント」の主要人物のひとり)。この授業での会話の中にすでにアンビエント語の片鱗が伺える。

神/善神(よがみ)
god/godness
 神は狂っている。世界が狂っていると言うのなら、その作り主もきっとどこかがおかしいのだ。
 人の生に確固とした意味を与えてくれることが宗教の最も大きな効用であるはずなのに、そこらじゅうでバタバタと人が無意味に死んでゆくような世界では、その意味をひねり出すのも難しい。だがそんな世界だからこそ、宗教はなによりも強く求められる。
 世界の創造はあまりにも過酷な労働だったので、その過程で神は二つに分裂し、傷つき狂ってしまった、というのがレスター・マキャフリイによってもたらされた解釈である。一方が悪である神(god)、他方が善である善神(godness)、どちらも同じくらい狂っている。このいかれた世界の修理などとてもやってくれそうにない。
 レスター・マキャフリイによって語られた教義は、ジョアナが書いた(とされる)本によってアンビエント達の間に伝えられた。

E教会
the chirch of E
 エルヴィス・プレスリーを救世主と崇める、キリスト教が力を失ったドライコ世界では最も人気のある宗教。「エルヴィッシー」の時代には、大きくなった宗教の常として世界各地に無数の宗派が誕生し、大変なにぎわいを見せている。
 元はと言えばサッチャー・ドライデン・シニアの妄想から生まれたもので、その内容は「エルヴィスが救世主として再臨する」の一点張り。権力者であればこそのゴリ押しで、巨大な聖堂を建て、おごそかなミサなど執り行っているうちに、ウソが誠に転じてしまったというところ。
「ヒーザーン」巻末の若島正氏の解説によれば、E教会というネーミングはイギリス国教会(Church of Engrand)のパロディであり、サッチャーという名字とリンクしているらしい。

ロングアイランド戦争

 ロングアイランドで起きた原発事故に端を発する住民の暴動が次第にエスカレートしてゆき、軍隊の出動が火に油を注いだ結果、ついに島全体を焦土に変える大規模な内戦に発展した。
 ベトナム戦争を、ニューヨークのすぐ脇で、倍の弾薬量で展開させたらどうなるか、というSFならではの思考実験。アメリカ中の成人男性(あるいは女性、あるいは未成年)がこの火星化した長い島に送り込まれ、無駄に死んでゆく。
 20年にわたって繰り広げられたこの内戦だが、これだけ長引かせるには、「ヒーザーン」をお読みの方ならご存じのちょっとした秘訣があった。この戦争からもっとも利益を得ているのがドライコであるのは、もちろん言うまでもない。

保安部
security
 文字通り、ドライコの保安を担当する部署。ただ、ドライコという会社にとって、「保安」は「先制攻撃」に限りなく近い意味を持つ言葉であり、この巨大な企業の安寧のために流される血の量はそこらの民族紛争にもひけをとらない。
 ジェイクという才能を得たことで思想的に先鋭化し、殺人の技術としても飛躍的に洗練と残虐の度合を高め、物語の随所に陰惨な場面を提供している。
 警察や軍隊のようではなく、ヤクザやマフィアともまた違う、たとえるなら快楽殺人者が不思議な縁によってひとつに集まったような、非常に始末に負えない集団。

もうひとつの世界

 アリョーヒン博士が発明した転移装置によって移動が可能になった平行世界。SFではおなじみの舞台設定である。
 ドライコ世界とは違う歴史をたどっているが、ドライコ世界の住人にとっても現実の読者にとっても驚きなことに、そのどちらの世界よりもさらに悲惨な社会になっているのだった。理由は定かではないが、時間の進み方もドライコ世界より遅いこの世界は「テラプレーン」の時点ではまだ1930年代であり、極端な人種差別と治療法のない死病が猛威をふるう悪夢世界である。ナチスドイツものびのびと悪にいそしみ、第二次大戦後にもその勢力は衰えない。
 エイブラハム・リンカーン、ウィンストン・チャーチル、そしてジョージ・R・ルーズベルトの死がその大きな転回点とされており、一個人によっても歴史の流れは変わりうるという作家の考えを反映しているようだ。

アリス
ALICE
 ドライコの各種業務、特に諜報活動など後ろ暗い方面のアクティビティを全面的にサポートする人工知能。
 名前の意味は、「アルゴリズミック・ロジスティカル・インタラクティブ・うんじゃらかんじゃら」…の頭文字をとったもの。作者も最後まで考えるのが面倒だったと見える(あ、いや、そういうディテールは重要じゃないからですよね)。要は、喋るスーパーコンピュータなのである。
 日米の最高の技術者の脳を絞りに絞った成果なのだが、最終工程は自分自身で組み上げたので、誰にも彼女がどういう仕組みで動いているのかわからなくなってしまった、というお茶目ないきさつも。
 虫の居所が悪いとラテン語でしか喋ってくれなくなるので、読んでいる方としても実際何を言っているのかわからず、困ってしまう。
 ほとんど神に近いような能力をもつ存在なのだが、さて……。

アリョーヒン装置
alekhine device
 ロシアの天才科学者、アリョーヒン博士が発明した時空転移装置。ビデオカセットと同じ形をしていて、家庭用のビデオデッキに放り込んで巻き戻しスイッチを押すだけでもう一つの世界への転移が完了する。字面だけでもなかなか愉快なこういう設定を真顔で盛り込むあたり、この作品群がSFの範疇におさまるものではないという誇らしげな宣言のようでもある。
 物語のひとつの鍵となる小道具だが、作動原理に関する考証は、その重要度と反比例するかのごとくに、たいへんに適当である。とりあえず、テスラ・コイルの原理を応用したもの、ということらしい。
 さんざん動作時の危険が説かれながら、たいていは確実に作動しているのも頼もしい。単純な仕組みだからなのかどうか、ついに"Elvissey"では化粧用のコンパクトに収まってしまう始末。よその世界へ飛ぶのにそれほど大きな動力源は必要ないようだ。

クライラー
klyler
 防弾素材。単に弾丸を受け止めると言うよりは、なにかの反撥作用で弾丸をはじいてしまうことが出来るらしい。詳細は不明。
 科学的な考証に重きを置かない作家なので、こういう設定のずさんさでコアなSFファンの不興を買ったりもするのだが、細かいことを気にしてはいけない。そういう類の小説ではないのだから(などといいながら用語集なんか作ってしまったわけですが)。

ドヴラトフ症候群(DS)
dovlatov's syndrome
 もう一つの世界で猛威を振るう伝染病。別名「脳つぶし」。新陳代謝と神経の反応が異常に加速され、燃え尽きるようにして死を迎える。空気感染で広がり、もちろん治療法はなく、発病したら最後、100パーセントが命を落とす。
 その猛威のすさまじさは、エイズよりもむしろ中世ヨーロッパのペストの方を連想させる。暗黒社会にはびこるべき疫病として、申し分のない破壊力と言えるだろう。

Q資料
Q documents
 名前からはフィクションの臭いがぷんぷんするが、現実の聖書学者の多くがその存在を想定している未発見の文献。Qとはドイツ語の「資料」を意味する単語Quelleの頭文字。
 新約聖書にはいまだ見つからざる原テキストがあると考えられている。このなかの「マタイによる福音書」と「ルカによる福音書」の内容には共通部分が多く、その一部は「マルコによる福音書」からの引き写しであるとされている。そして、それ以外の共通部分の元本として想定されたのがQ資料である。(*1
 ドライコ世界においては、この資料が本当に発見され、公表されたという設定になっている。その内容はキリスト教の存在基盤を根本から覆すもので、イエス・キリストは当時の政治家の傀儡であり、すべては欺瞞だったというもの。
 アメリカの政治がキリスト教に大きく傾いていたその頂点でこれが公表されたことが、経済の総崩れと政権の交代、そしてドライデン・ファミリーの権力掌握の大きな助けになった。

潮吹き上げる時代
the ebullition
 我々の知っている現実世界からドライコ世界への遷移期間。温暖化による海水面の急上昇とともに、社会は急速に傾き、人々の言葉は変化した。政治の親キリスト教化とその頂点での失墜、極端なインフレによる経済の破綻、国全体を巻き込んでの内戦。「ゴブリンの年」と呼ばれる年に突然発表された通貨切り上げ(旧100ドルが新1ドルになる)がそのとどめになった。
 ebullitionとは、「噴出、沸騰、勃発」などの意。てっきりこれも造語だと思っていたら、ちゃんと辞書に載っていました。無知でした。

ジョアナの書
book of joanna
 アンビエントたちの聖典。ジョアナ自身の手になる原版とアンビエントによる新約版がある。マキャフリイの言葉をジョアナが記した物、となっているが、長編「ヒーザーン」そのものがまさにこの「ジョアナの書」の原版であるととれなくもない。

クラースナヤ
krasnaya
 資本主義を手なずけてもう恐いものなしのロシアを牛耳る、多国籍企業体。西側におけるドライコと対をなすような存在だが、サッチャー・ドライデンのようなアクの強い中心人物は劇中には特に登場しない。
 経済を回転させるのにソヴィエト連邦のパブリック・イメージが反映されていると思しきユニークな方法を採っていて、ひたすら国民に購買・消費を強制し、拒否する者には厳罰が待っており、そのくせ本当に必要なものは何も手に入らない。「テラプレーン」の冒頭のデパートの場面では、そんな社会の風景がユーモラスに描かれている。

ドリーム・ティーム
dream team
 クラースナヤの諜報機関/秘密警察。当然ながらそういったものの集大成というかカリアチュア的な姿を持っており、冷酷で、残忍で、スパイ映画風のガジェットに溢れ、全体主義国家的な頑迷さからくるやや無能な面も持ち合わせている。
 人間性を踏みにじることについて、この物語では、アメリカがいかにもアメリカ風に大雑把で十把一絡げ的であるのに対して、ロシアのやり方はとても細心で、一人一人によりそったものとして描かれている。すなわち個人の思考のモニターであったり、なにやら詳細不明のテクノロジーによる人格コントロールであったり。どちらの方がましかと問われれば、どちらも願い下げと答えるほかはないのだが。

ナイフライフ(刃生)
knifelife
 詩人の心を持った殺し屋・ジェイクの手になる、おそらく唯一の著書。訓練を修了したすべての保安部メンバーに配られる、彼らにとってのある種の聖典。
 文学作品からの引用と彼自身の言葉とで構成されているこの本は、苦痛をもたらし命を摘む者としてのあるべき心構えを説いている。

郵便局になる
go post office
 日本語の「キレる」は今ではかなり軽いニュアンスでも使われる言葉だが、その当初の意味でいうような、とつぜん逆上し、極端な暴力に走る行動をさすスラング。第五部「Random acts...」で登場する。郵便局を舞台に起こった(おそらく架空の)事件がその語源。
 過激な暴力表現で物議をかもしたゲームのタイトルにもなった「go postal(*2)」という現実のスラングは、まさにここから派生したものらしい。本人もインタビューで認めている。「Random acts...」がアメリカで発表された年は1995年、例のゲームは1997年。なにやら小説よりも奇な話。

ホームボディ
homebody
 「家がない」ホームレスではなく、「体がそのまま家」のホームボディ。ドライコ世界では路上生活者はこう呼ばれる。実際、ホームレスとは言っても段ボールで作った即席の住処ぐらいはあるものだが、この世界で路上生活者を襲うのははるかに過酷な運命だ。目がさめると自分の体が燃えていたなどは日常茶飯事。長生きが出来るはずもなく、そして数だけはやたらと多い。

胎児芸術
fetal art
 「Elvissey」の時期に現れた、小規模の芸術運動。放射能汚染のため、子宮で育った子供はほぼ例外なく死産の奇形児として生まれるようになっており、そうして生まれた子供を素材としてアッサンブラージュ的な芸術作品を作り上げるというもの。したがって作家はすべて女性。
 より印象的な綺形の子供を生むべく妊娠中にわざと色々な薬物を服用するというあたり、もはや目的と手段が逆転しているような印象もあるが、そのような表現に至る心情を想像すると、なんとも言いようがない。

チェーンソウ

 人を殺すことを第一の使用目的としたチェーンソウが、この世界には存在する。ニーズのあるところではテクノロジーは急速に進歩するもので、携帯電話があっという間に小型化したように、普段はポケットにいれられるほど小さく、使うときには刃が3倍の長さに伸びる対人用チェーンソウが市場に登場するに至った。「Ambient」で最初に登場するが、「テラプレーン」でジェイクが見事に扱ってみせたのがやはり印象的である。




*1 Q文書解説:http://www.asahi-net.or.jp/~zm4m-ootk/qsiryou.html
*2 語義解説:http://phrases.shu.ac.uk/meanings/159050.html
   「Go Postal」オフィシャルサイト:http://www.gopostal.com/news/pr/