馬車が走ってたころにはこのブタ箱も高級宿だったかもしれないが、以降はトロールどもが仕事に精を出していたらしい。その成果に俺なら5点満点でマイナス4を付ける。この家具じゃ金を出したって屑屋は引き取っちゃくれないだろう。蛇口をひねれば、さあ、何色の水が噴き出すか。チワワと同じくらいの大きさで、静かさも同じくらいのゴキブリども。毎朝ネズミの群れが前庭の雑草のなかを駆けぬけ、その有様を見たらド素面の客でも地面が建物の下からずるずる這い出そうとしてると思いこむだろう。
"Going, Going, Gone" 2000
六部作最後の長編は、いままでになく軽快に幕を開ける。主人公のウォルター・ブリットは、ヒップという言葉が本当に「ヒップ」だった時代のヒップな青年。(もうひとつの世界の)ニューヨークに住み、政府のためのちょっとした仕事で日々の糧を得ている。いくつものナイトクラブの顔であり、そしていつでもドラッグをポケットに忍ばせている男でもある。
もうひとつの世界、もうひとつのニューヨーク。我々の世界の過去と一見なんの違いもない。たとえばそこにはお馴染みのあのバンドがいる。捜せばどこかにアンディ・ウォーホルだっているだろう。だがもちろん、この物語の読者ならご承知のとおり、おおきな違いがそこにはある。より些細な相違点を捜すなら、ダラスで暗殺されたのはケネディではなく、ニクソンである。
でかいほうの娘の女王然とした歩きっぷりには観客どころかバンドまでもが気を逸らされたが、演奏は続けられた。彼女とかわいいモッズ娘がステージを横切ると、ルーは1小節をすっとばしてしまったが、上手い具合に持ち直し、だれも気にはとめなかった。ニコは生まれて初めて表情らしきものを顔に見せた。俺は麗しのミス・ダーリンの耳元に口を寄せる。
「キャンディ兄姉 さん、あれって『彼』かな?」
むこうはこちらのレシーバーに怒鳴りかえす。
「何いってんの、違うわよ。本物よ」
「ホントに?」
「手でわかるの」そう言って自分の手を見下ろし、眉を曇らせた。
「ありがとさん 、マイ・エンジェル」
"Going, Going, Gone" 2000
まだジャズやブルーズを聴くことはできる。78回転の
ジーシイもまた、録音技師が二つか三つ盤 を録音 するのに足りるくらいに長くホテルに逗留していたところへ落ちてきて、そしてふたたび天へと戻っていった、例の天使たちの一人なのだ。そう思えば少しはましな後味がのこるというものだ。
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「電動だよ。なんにしても見た目はすごいだろ。どっちを聴く?」
「ブラック・ハーヴェスト・ブルーズ」
「俺もそっちだ」
ジムは溝に針を落とし、テーブルが回り始めるまでつまみを調整した。バーンステイブルの声には張りがあったが、音程がずっと合っているというわけではなかったし、彼のギターの爪弾き方は、これが寒い日の録音で、手袋をはめて演奏しなきゃいけなかったかのようではあった。だがそうだとしても彼はメッセージを届けることができていた。まるで誰かが月面で歌うのを聴いているみたいだ。
夜遅く あの娘が泣いてやってきた
ああ 夜遅くに あの娘が泣いてやってきたよ
奴らが坊やを連れてゆくとさ
黒い収穫だ 主よ 主よ
黒い収穫だよ とうとう
"Going, Going, Gone" 2000
現実の1960年代のアメリカでも盛んであったという、自己啓発ムーブメント。ウォマック流にねじまげられ、奇怪さを増した平行世界バージョンのそれに、ウォルターは遭遇することになる。キャッチフレーズは「Max Your Po !(あなたのポーを最大に!)」。ウォルターを面食らわせたこの「ポー」とは、「
ウォルターの前に現れた二人の女。一人は小柄で美しく、もう一人はとてつもなく大柄で、美しいかといえばまあ、もちろん、美しい。どちらも奇妙な言葉を話し、最近ウォルターを襲った奇怪な出来事について、知っていることと知りたいことがあるらしい。数々の奇妙な言動にもましてウォルターを驚かせたのは、二人の(とくに大柄な方の)裡に秘められた極端な暴力性だった。
奴はクロージョウの手をつかんだが、そこでやけどをしたみたいに手を引き戻した。
「クライスト・ジーザス」とわめく。
「俺よりごつい手ェしてやがる。こりゃオカマ野郎だ、離しや――」
彼女の飛行服に、以前のアンサンブルに装備されていた特殊ブラはついていないように見えた。次に起こった事はあまりにも素早くて、俺にはそれを本当に見た と言える自信がない。クロージョウは奴の手を掴み、自分の方に引き寄せる。彼女の右手が動き、親玉は舗道に倒れ込み、バンシーみたいに吠え叫ぶ。クロはまだ奴の手を持っていたが、もうあまり本人の役には立ちそうになかった。俺は一度、切れ味の悪いナイフでベーグルに切り裂きジャックごっこをしている最中に親指をざっくりやってしまったことがある。あまりにもたくさん血が出るから、流れを止める前に干上がってしまうんじゃないかと恐ろしくなったが、これにくらべりゃ紙の端でちょいと切ったようなもんだ。親玉野郎の手首は水道のホースみたいに噴き出させていた。
"Going, Going, Gone" 2000
たくさんのものが過去に葬られた。疫病すらもはや過去の記憶になった。どうしてもというなら、博物館へいけばまだそれを見ることができる。
「サンボ?」ユーリイがまん丸な眼でこちらを見た。
「あだ名だよ」
ケースのマホガニー部分にあるラベルを読んで、俺は答えた。
「彼の種族のなかで最初にここに運ばれた一人だ」
考えて、言い直した。「部族でね」
"Going, Going, Gone" 2000
シリーズ完結編は、六部作のなかでは突出してユーモラスで、やりすぎと思えるほどに気障な言い回しにあふれた語り口を持つ。今回のウォマックのチャレンジは、1960年代のニューヨークに棲息する洒落者のクールでヒップな語りを再現してみせようということらしい。この喋りが当時の雰囲気をどのくらい正確に再現しているのか、例によって非英語圏の読者としては判断しづらいが、読んでいて楽しいことは確かである。語り手のメンタリティもいままでとはがらりと変わって、一見なんの苦難もなく人生を楽しんでいるかのように思える。
作者のニューヨークへの愛が(またしても)いかんなく発揮され、平行世界の異様さを描くよりも、活気に満ちていたニューヨークの過去をそのまま再現してみせることの方に熱意が注がれているように感じられる。ほんの端役とはいえ、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドを出演させたいという欲求に勝てなかったらしいのが、なんとも微笑ましい(黒人音楽が息の根を絶たれて久しい世界で、はたしてロックなどという音楽ジャンルが生まれるかどうかも怪しいのではないかと個人的には思う)。当時はまだケンタッキイに暮らしていた若き日のウォマックが、60年代から70年代にかけての刺激的なニューヨークに抱いていた憧れがこの作品に反映されているのではないだろうか。
さて、本作はもちろん「ドライコ・シリーズ」の最後を飾る長編であり、六つの長編にわたる物語のグランド・フィナーレはちゃんと読者を待っている。上の説明や抄訳では、そういった部分については極力触れないように留意した。