RANDOM ACTS OF SENSELESS VIOLENCE   [1993]




2月20日
 いまはもっとスケジュールを守ることにしたから2日続けて書くね。あなたに名前を付けてあげようと思ったの、したらパパがお前たちに話してるとときどきかべに向かって話してるみたいだよっていうみたいな気持ちになんなくてすむから。あなたの名前はアンね、日記にはいい名前だと思うし、あなたのことはだれにも見せないよ。わたしが話すことはふたりだけの秘密だからね。
 わたしのことをもっと話すねアン。
 わたしは12才でブーブは9才。ふたりともニューヨークのレノックス・ヒル病院で生まれたけど両親はちがう場所で生まれた。ママはロサンゼルス生まれでパパはシカゴ生まれ。休みのときにどっちにもつれてってくれた。わたしはロサンゼルスもシカゴも好きじゃない。ひどいとこだったからいまはどっちも焼けててうれしい。

"Random Acts Of Senceless Violence" 1993


無意味で、無秩序な暴力

 ドライコ・シリーズ第五作。第三作「ヒーザーン」の約二年前、時系列上ではもっとも初期に位置しており、すべての始まりの地点、我々の世界からドライコ的暗黒世界への展開点と位置づけることが出来る。アメリカは政治的・経済的な激動に見舞われ、後に「ロングアイランド戦争」と呼ばれることになる内戦もこの年に始まっている。

 主人公のローラ・ハートは十二歳の少女。ニューヨークの恵まれた家庭に育ち、良家の子女が集う私立の女子校であるブレアリー・スクールに通っているが、活発すぎるほどの気性のせいで上品な校風にやや馴染めずにいる。すでに大人と変わらないくらいの背丈があり、体の成長に心の方がまだ追いつけずにいる。誕生日に親からプレゼントされた日記帳にアンと名前をつけ、なんでもうち明けられる親友として、ローラは日々の出来事を綴ってゆく。そこに写し出される周囲の世界と彼女自身の内面の変貌は、しかし想像をはるかに越えて急激で、奇怪で、苦痛にみちたものだった。




 すぐに乗り降りできるように後ろのドアちかくに立ってたの。そうしといてホントにホントに、ホンットによかったよだって、72丁目で狂った人が乗ってきたんだもん。どこにでも狂った人がいるけどこれはホントに恐かったよアン。さいしょ乗ってきたときは、ズボンが下のほうでさけて泥がついてるのと、なんか汁がでてるでっかい吹き出物がほっぺたにあって気持ち悪かった以外はふつうの人とかわんなかったんだけど。その人はわたしたちから5フィートくらいのところにいたの。ブーブはさらにしょうもない歌を歌いだしてパパに気をひくようなことをしちゃだめって注意された。いきなり狂った人が小がらなおばあさんをなぐりだした。その人はシングルの席にすわってたんだけど。おばあさんは悲鳴をあげてメガネを落とされて口から血が出てた。おばあさんはなんにも言ってないんだよ、狂った人がただあのおばあさんを選んだの。

"Random Acts Of Senceless Violence" 1993


不況と激動

 急激に物価が上昇するなかで、不況の影響を大きく被って、TVドラマの脚本家であるローラの父は収入が滞り、文学部の教授だった母は解雇され、一家は極端に切りつめた生活を余儀なくされるようになる。治安の悪い地区の安アパートに移り、両親の苦闘も空しく、一家はどんどん追いつめられてゆく。
 困窮のために人々の心はすさみ、街には浮浪者と狂人があふれている。突発的な暴力があちこちで起こり、募る一方の政府への不信感から、大きな暴動が幾度も繰り返され、そのたびに政府の鎮圧によって多くの死傷者が出る。




 それからいつも電車がとまるときになるみたいに車両のなかがすごくしずかになったの。きゅうに女の人が「足に気をつけてよ」っていって男の人がお前こそ気をつけろっていった。「あんたが気をつけろってのよ」って女の人がいって男の人がおれの足がジャマなんじゃなくてお前のベビーカーがジャマなんじゃねえかって言って「この子はジャマになんかなってないわよ」って女の人がいってそんなわけねえだろって男の人がいって、言い合いになってどんどん声が大きくなったの。「静かにしてください」ってほかの女の人が言って、男の人がてめえもくたばれって言った。「なめた口きくんじゃないよこのやろう」って女の人が言って、そしたらとつぜんみんなやめろやめろって叫びだして車両のなかのわたしたちのいるほうの半分がつきとばされる感じに押しもどされてきてママがわたしたちの上に倒れるんじゃないかと思った。すごくこんでたからブーブもわたしも何がおこってるのか全然わかんなかった。「こいつが悪いのよ」って女のひとの一人がいってみんなおちつけおちつけっていってた。乗客はおし合いをやめて誰かがなにかボソボソ言ってまたみんなしずかになった。そしたら2番目のほうの女の人が「このくそやろう」って言ってみんなほんとにすごい悲鳴をあげて車両の私たちがいるほうの半分におしよせてきて窓をやぶって飛び出していきそうな感じになったの。みんなやめろやめろ、よせよせって叫んでて、そして誰もなにもしなかったから、たぶんせっとくできたんだと思う。それから電気とエアコンがまたついて、何分かしたら電車はまた動き出した。

"Random Acts Of Senceless Violence" 1993


子供を治す

 反抗的な子供を更正させるという「CURE-A-KID」という民営の施設。そこで子供に加えられる「処置」についての噂がブレアリーの生徒達のあいだで囁かれていた。ローラの親友でいたずら仲間だったローリーは両親によってこの施設へ送られ、彼女たちの想像を裏付けるというよりむしろ凌駕するような変貌をとげて戻ってくる。




 ローリーのところに走ってって目の前にいって「なんでなんにもしゃべってくんないの親友だったでしょ」って言ったの。ほかの子たちはまわりで笑ってた。ローリーはずっとデッドヘッドみたいなあのゾンビみたいな笑いかただった。バッグからカードを出してわたしにくれてから歩きだした。わたしはローリーローリーって叫んで追っかけたけどローリーは何にも聞こえないみたいにわたしなんかいないみたいにそのまんまずっと84番街を歩いてった。そんな風になると思わなかったけどわたしはちっちゃい子供みたいに泣きだしてた。

"Random Acts Of Senceless Violence" 1993


ストリート

 一家はブルックリンへ引っ越し、ローラはそこに住む黒人やヒスパニックの少女たちと知り合う。暴力の気配が充満する街をわがもの顔で闊歩する彼女たちと意気投合し、暗い影に覆われていたローラの日常に生彩が戻ってくるとともに、度を越したスリルがローラを魅了する。ロングアイランドからは砲撃の音が響き、流れてくる黒煙が日に日に色濃く街を覆う下で、ローラたちは危険な遊びに興じる。




「テメエみてえなカッコで外あるってたらヤツらでっけえエサぶらさげてる思うべ」ってスパニッシュの子が言った。「あんたのカッコはどうなのよ」って言ってやったらイズとジュードは笑ってた。「どうだっつんだよ」ってその子はすごいキレたっぽく見えたけど、ちょっとの間だけだった。「からかうんじゃないよ」ってイズが言ったけどどっちに言ってるのかわかんなくってふたりともだまった。「ウロツキどもが付けまわしてくんのはデッドヘッドだからだよ」ってジュードが言った。「見た目じゃないよね。室温のものならなんでもファックすんのよ」イズが言った。「いっしょに来なよアタシらそこら回るから」ってジュードが言った。「何するの?」ってきいたら「ブラブラよただブラブラすんの」ってイズがいった。わたしは「いいよ」って言った。

"Random Acts Of Senceless Violence" 1993


 十二歳の少女の書く日記という形で語られる第五作。カンマが抜けたり、あるべきところに引用符が無かったりというようなたどたどしい文章で、自らが直面する外界と内面の変化が綴られてゆく。この物語の主人公は、体こそ成長しているとは言え、精神的には無邪気な子供時代からさほど時を経ておらず、シリーズの他の長編の語り手たちのように自分の置かれた苦境から距離を置く術を持っていないため、ひとつひとつの出来事を全身で受け止めてしまう。それは他の長編の登場人物たちのかつての姿でもあるのだろう。
 社会の荒廃してゆく様子が描かれる一方で、時代や場所を問わず存在する子供への暴力の数々をローラは目撃し、そのうちの幾つかを身をもって経験することになる。造語がさほど多くは出てこないという意味での読みやすさとは裏腹に、本書はおそらくシリーズ中でもっとも読み通すのがつらい作品である。

 この作品において作者が試みた文体上のチャレンジは、単に少女の日記文体というだけに留まらない。主人公が出会うストリートの少女たちは印象的な黒人スラングを話し、その影響などによって、主人公が日記に綴る文章も次第に変化してゆく。書き言葉と話し言葉両方の劇的な変化を追っていくのが本書を読む上での大きな愉しみの一つである。書き手のその時々の感情が拙くもそれゆえに生々しく記され、素朴な言葉の連なりがふと詩のリズムを持つ瞬間には目をみはらされる。