LET'S PUT THE FUTURE BEHIND US   [1996]





 次のようなメッセージがメディアに現れるなど、比類なき我らが祖国のほかにはありえないことだろう。

 残念ながら本日の天候をお届けすることが出来ません。空港からの天候情報を頼りにしていたのですが、空港は天候のために閉鎖されました。明日の天候をお届け出来るかどうかは天候次第です。

"Let's Put The Future Behind Us" 1996



未来のことなど忘れてしまえ

 現在のところ、ドライコ・シリーズに属していない唯一の長編。現在/近過去のロシアを舞台にした非SF作品であり、一応は現地での取材をもとにしながらも、そのあまりに不条理で理不尽な社会の姿はある種の幻想小説のような非現実性を漂わせている。お馴染みのウォマック流ディストピア。だがこの物語の主人公は、この社会に完全に順応し、事業を成功させ、有能な妻と美しい愛人を両手に、人生を謳歌していた。そこへマフィアの影が見え隠れし始め、彼は次第にトラブルの網にからめとられてゆくことになる。





「精力的なアメリカ音楽」
 そう言ってソーニャは膝を手で叩き、原始的なリズムを鳴らしながら、お気に入りの部族民の声に合わせて歌った。
「アーニー・ナー・ヤー」
 はじめ、愚かにも私は、己の楽器と獣じみた交接にふけるこの狂人が詠唱する言葉のひとつが、「ニャー(nya)」であると思いこんだ。だがそんなはずはない――アメリカ人は決してノーと言うことはない、そう言わんとするときであってさえ。
「ソーニャ、音を下げてくれ。頭に針を立てられたようだよ。何だねこれは」
「『スメルズ・ライク・ティーン・スピリット』」とソーニャ。
 自分の脚のあいだを愛撫するとその指を私の鼻におき、その薫りをもって私をなだめんとする。
「あたしみたいな匂い」
 私の右手をハンドルから放し、それを彼女は自分の膝の上にそっと導いた。機敏なわが手指が彼女のイタリア製の下着を脇にのけ、船乗りのごとく大洋の潤いに沈み込む。
「悪魔」
 然り、その通り。
「天使」
 そう応える私。然り、それもまた。

"Let's Put The Future Behind Us" 1996



ロシアに暮らす

 20世紀末のロシア。自由経済は貧富の差をもたらし、繁栄を謳歌するのはかつての官僚や政府機関の元職員たちで、粛正の露と消えたものを除いては、ソヴィエト時代の既得権をそのまま引継ぎ、あいかわらず賄賂と裏取引の横行する社会の上層で肥り暮らしている。
 主人公のマックスことマクシム・ボロディンもそんな一人で、かつては文化省に勤め、その人脈を最大限に活用して、現在は「ユニバーサル・マニュファクチャリング・カンパニー」という会社を経営している。その業務内容とは簡単に言ってしまえば書類偽造で、海外の研究機関やテレビ局などが求めるとおりの歴史的事実を証明する各種のドキュメントを捏造し、引き渡すことで多額の報酬を得ている。その道のエキスパートを何人も抱え、商売は順調に進んでいた。




「あと必要なのは正しい署名だけです」
「ミーシャに渡してやれ、あの男なら眠りながらでも仕上げてくれる」
 書類を検分しながら私は言った。完璧な出来ばえだ。トマスの依頼内容は、KGBによる、名高い暗殺者たるリー・ハーヴェイ・オズワルドを友好的なる我が祖国への滞在中に洗脳しようという試みを、ミンスク駐留のCIA工作員が阻止したことを示す、一山ほどの報告書を生成してくれというものだ。この書類の山は、少なくとも仲介人の言うところでは、これからシカゴの有名な学者のもとへ届けられる手はずだった。歴史とはレーニンが言う以上にフレキシブルなものなのだ。5月に、トマスはカリフォルニアの研究者のところへこれと正反対の事実を証明する書類を送り届けたばかりである。

"Let's Put The Future Behind Us" 1996


ソヴィエトランド

 

 古き善きソヴィエト連邦をコンセプトにすえた、ディズニーランド風テーマパーク。つねにおかしな事業を思いついては兄の懐を痛ませる、マックスの出来の悪い弟イェフゲニーの、進行中のプロジェクトである。社会の状況とイェフゲニーの頭脳の状況が完成への道のりを無限に引き延ばし、兄の財布からは無限に金が流れ出す。
 その完成予想図は西欧文化の歪んだ影響を集大成したかのようで、「イッツ・ア・スモール・ワールド」風のパビリオンを船にのって移動しながら社会主義リアリズムで表現されたロシアの歴史をなぞるという趣向にも、プロパガンダ映画とアメリカの古い産業フィルムとの折衷のようなプロモーション・クリップにも、作者らしいユーモアがあふれている。




 揃いのTシャツを飾る英語の言葉は「めでたい馬鹿のくつろぎ殴打人生HAPPY FOOLY HAVE A CASUAL BEAT LIFE)」。衣装監督たるイェフゲニー・ボロディンは、このファッショナブルな装いを、以前に狡猾な日本人の卸売業者から我が家に代々つたわるかけがえのない聖画イコンと引き替えに手に入れたレジャー衣料の尽きせぬ山のなかから調達していた。
「元気回復のいちばんの秘訣はソヴィエトランド!」
 役人が仰々しくのたまう。
「このソヴィエトランドで、私たちは社会主義の堂々たる行進を目の当たりにし、歴史の車輪を逆戻りさせるんだ。ヘイ・ユー、楽しんでくれよ!」
  (中略)
「街は安全、物価は安定、家賃も安く、職にも安住!」
「まるで天国にいるみたい」と観光客。
「ハッハッハッハ」役人が応えて曰く、
「いやいや、ここはソヴィエトランドさ!」

"Let's Put The Future Behind Us" 1996


ロシアン・マフィア

 ロシアでは、めざましい業績を上げている企業には、例外なくマフィアという害虫が甘い蜜を求めて群がってくる。彼らとの手打ちは経営者の重要な仕事の一つだ。なかでもグルジア人マフィアは特に恐れられている。うまく折り合ってきたはずのマックスだが、彼らの手は思わぬ所から伸びてくるのだった。




「最も控えていたはずの者をすら、酒は出し抜いてしまう」
 そう言って男はポケットから上等な絹のハンカチを取り出した。
「ロシアはだれにでも充分な居場所を用意している国だとは思わんかね」
 盛大に頷く私。
「それに異を唱える同朋市民が多いのは悲しいことだ」
 パントマイム演者にふさわしいような芸術的な動作で彼はハンカチの端をめくった。柔らかな寝床に収まっていたのは、各種取りそろった人間の歯だ――臼歯に、門歯に、小臼歯――いくつかには詰め物があり、いくつかは無傷で、ふたつは金の冠を載せていた。それらを投げて運をためそうとするかのように、彼は手の上で歯を振り動かした。
「きみの友人は人なつこい笑顔をしているね。大事にするといい」

"Let's Put The Future Behind Us" 1996


 異国(おもに西欧社会)の読者たちに向けて、ロシア人である主人公が英語で語る、ロシアでの生活。「読者諸兄」と呼びかけながらのどこか大仰な文体は、英語に訳されたロシア文学の文体のパロディかとも思わせる。「テラプレーン」で奔放に描かれた未来のロシアと同様の異様さで、ここではさらに細部にわたって丹念に、作家が惚れ込んだ「いまここにあるディストピア」の諸相が描かれている。語り手がロシア人特有の心性を英語でどう表現すればいいかと悩んだり、アメリカを始めとする西側の文化がゆがんだ形で入り込んでいる有様や人々が西に抱く歪んだ憧憬について、あちこちで何やら言い訳がましく解説してみせるのが可笑しい。
 友人の父の葬儀に立ち会う冒頭の場面での、賄賂と横流しとサボタージュが横行する現代ロシア社会の機能不全ぶりはユーモラスなまでに悲惨である。葬儀場に入場するのにすら袖の下が要る。火葬場に遺骸を運び込むと、30分も経たないうちにビニール袋に入った一握りの冷たい灰になって戻ってくる。灰を入れる容器を要求するとプラスティックのかごをくれる。本物の灰がどこへ行き何に使われているのかは、主人公によって後に明らかにされるのを待たなければいけない。
 ジリノフスキーがモデルらしい凶暴な右翼政治家や、マルクス=エンゲルス=レーニン=スターリンの頭文字からとったメルス(Mels)という名を親につけられたマフィアなど、おかしな登場人物が大挙して登場し、物語は終始ドタバタ気味に進んでゆく。ウォマックの(黒い)ユーモアが全開になった、楽しい小説。