オムニ・オンラインのインタビュー企画。公開メールでのやりとりをまとめたもの。「Let's put the future behind us」出版後のもので、ウィリアム・ギブスンと共同で企画していた映画の話にもちょっとだけ(ほんとにちょっとだけ)触れている。
まず始めに、ドライコ・シリーズを説明する簡単な方法というのはあるんでしょうか?
■ドライコ・シリーズを説明するいちばんいい表現は、それが、ほんの少しだけ極端で、はるかに悪化した、明日における今日の世界の姿であるということです。
シリーズを取り巻くテーマとは何ですか?
■シリーズに内在するテーマは、主としては現代における痴愚の解釈につながる風刺的なもの、次いで神学的なものです。
あれが風刺だということに気づいてくれずに、E教会などの仮構を本気にしてしまったという人には出くわしましたか?
■いや、出会った人はみなあれがフィクションだと了解してくれています。それに関しては幸運でした。ただ、E教会については、神学上のコンセプトとして真面目に受け止められ始めているということを言っておきます。
1939年という年と世界博覧会は、あなたにとって特別な意義があるんですか?
■当時ニューヨークは色んな意味で頂点にあったと私は考えていて、博覧会は間違ったユートピア的未来予測の奇抜な顕示として他に類を見ないものです。言うまでもなく、その手のことが私にとっては魅力的なんです。
1939年は、ハワード・ウォルドロップやウィリアム・ギブスンなど、たくさんの作家を引きつけているようですね。わたしにはあれが、博愛にみちた白人のアメリカの、最後の「純粋な」ヴィジョンに思えます。それはつねに虚構のものでしかなかったわけですが。
あなたの名前をオンラインで検索して、あなたがやった「Random Acts ...」のCDがあるのを知りました。何が入っているのか教えていただけますか?
■わたしがあのCDをやったわけではないですよ。ヘンリー・ロリンズのレーベルで型番は213CD、4CDセットで、トリシア・ウォーデンによる美しい抜粋の朗読が入ってます。NYのダウンタウンのタワー・レコードで売られているのを見ました。ロリンズのウェブページでも買えます。(*現在は絶版の模様)
それじゃ、あれは基本的には小説の抜粋(それは残念)の朗読なんですね?
■そうです、とてもうまく抜粋がされていますが。物語は形になっています。小説の全体となると多分CD10枚組にはなって、よほどのマニアじゃないとそんなものに手は出さないでしょう。
残念ながら、そうですね。最初にロシアを訪問したのはいつですか、そしていつ「LET'S PUT THE FUTURE BEHIND US」を書き始めたのでしょうか?
■最初にロシアを訪れたのは1992年の3月で、今年の7月に選挙をみるために再訪しました。「LET'S PUT ...」は1994年に書き始め、1995年の9月に書き終えています。
この本をドライコ・シリーズに結びつけるつもりはありますか?
■世界としても行為としても直接に結びつけるつもりはありません。ただテーマは似通っています。人間の愚かさとその崩壊の過程です。違いは、ドライコは誇張された世界だが、「LET'S PUT ...」には最終的には抑制があるというところです。
抑制があるというのはあくまでも比較としてはということですね(笑)。どのくらいの誇張が「LET'S PUT ...」には含まれてるんでしょうか?あなたはこれを歴史小説と呼んでいるようですが。
■恐ろしいことに、「LET'S PUT ...」にはほんのわずかしか誇張されたところはないんです。モスクワの状況はまちがいなくこれよりも更に超現実的になって、パラレル・ワールドの輝きを帯びてきているので、私はこの作品を歴史小説と呼ぶことにしてるんですよ。
酔いも醒めるような話ですね。フレッドについては?(これからジャックが説明してくれますが、これは人名じゃありません)
■フレッドというのは実在するドラッグの実際の名前です。私にわかる限りではソラジンのソビエト版のようなもので、ただもっとパワフルで、政治犯か精神異常の犯罪者だけに処方されたもののようです。誰もそれが正確にはどんな働きをしたかを教えてくれません。今日でもあれのこと考えると心穏やかではないようです。そこで本の中では、いろいろの効果をもたらす万能ドラッグとして書いてみました。
そのコンセプトについてお聞かせ願えますか?
■フレッドは、私の創作では、その人の肉体的および精神的な状態によって違う働きをします。いちばん上物のマリワナのようにもなるし、ハバネロ・ペッパー(世界一辛いとされる唐辛子)なみの好ましさであったりもするし、狂気に駆り立てられもするし、即座に死んでしまったりもする。やってみないとどんな結果になるかはわからない。次にやったとき、同じ効果があるかも知れないし、微妙に違っているかも知れない。
なんというか、(失礼ですが)ギブスン風な印象を受けますね。使うには危険すぎるし、考えずにいるには魅惑的すぎると。
■まあ何とでも。現在私は、自分の小説にもギブスンの次作に寄せる文にも使わないロシアのネタを、ギブスンにせっせと渡してやっているところです。誰かがあれに何かいい使いみちを見つけてくれるでしょうし、私にはこれからロシア小説家になるつもりはありません。
もうマックス(「LET'S PUT ...」の主人公)については書き尽くしたと?
■そう、もうマックスについて付け加えることはありません。彼はなんとかやっていくでしょう。ちょうど今私は、今日の午後に、ニュージャージーに住むアッパー・ミドル・クラスの女性が、9歳のガールスカウトを、選んでやったクッキーを気に入らなかったという理由で首吊りにしようとしたというニュースを見ているところです。一体どうやったらこれに匹敵するような話を書くことができるものかと思いますね。
あなたの作品の中で(もしあるとすれば)どの本が一番映画的だと思いますか?
■エルヴィッシーだと思いますが、予算は数億ドルにはなりそうですね。
映画の脚本や、ほかのメディアのために何か書こうと思われたことは?
■いや、自分のについても他の誰かのフィクション作品についても、脚本をやろうという気にはなりませんね。ハリウッドとの賢いつきあい方といったら、金をうばってずらかるということにつきます。
了解しました。とはいえ、もう一人の有名なSF作家と映画で共作をすると言っておられたんでは……?
■ギブスンとカザフ人ディレクターのRachidとでの件は5年前のことです。ロシアへの最初の旅以外に得られたものはありませんでしたが。ギブスンが「JM」でどれだけの喜びを得られたかを見れば、その手のことは避けておくに越したことはないという私の信念の裏付けになるというものです。
その件に関して私はあまり詳しくないんですが、それについてはまたの機会にということで……。もっと短めのフィクションを手がけようと思われたことは?
■4つの短編を書いてます。どれも長編と同じくらい書くのが大変で、長編小説でないならノンフィクションを書く方がよっぽど金になるというものですね。
ノンフィクションの執筆を増やすという計画はありますか?
■もし興味のもてる契約やプロジェクトが続けてやってくれば。まったく興味のない事について関心を装うというのはとても難しくて、自分がフルタイムのジャーナリストになれるとは思えません。