AMBIENT   [1987]




 ミスター・ドライデンは、父親と同じく、Eを好む。走り出したときには「冷たくしないで」が光響レーザレオで再生されていた。必要なものを彼はすべて後ろに揃えさせてある。酒類のキャビネット、TVC、おつむの毒でぎっしり詰まったドラッグ入れ、内軍ホーム・アーミーのソフトウェア、業務用の電話がふたつ、IBMのXL9000、ゼロックス、そしてビデ。ビデはアヴァロンのためにあり、アヴァロンはミスター・ドライデンのためにある。
「本屋しろ( "bookstore me" )」彼は命じた。

"Ambient" 1987


アンビエント


 ウォマックの第一長編。「ドライコ・シリーズ」の一作目であり、時系列上は三番目にあたる。
 疲弊し、荒廃をきわめた二十一世紀のニューヨーク。川をへだてたロング・アイランドでは泥沼の内戦が続いている。アメリカは十数年にわたって巨大企業ドライコの支配下にある。

 主人公シェイマス・オマリイは、現在のドライコの実権をにぎるサッチャー・ドライデン・ジュニアのボディーガード兼業務補佐を勤めている。頑強な体のおかげで暴力が支配する社会の現状に充分な適応をはたしている彼は、現在の仕事になんの不満もなく、次第に奇矯さを増してゆく雇い主への忠誠も揺らぐことはないと思われた。




 アンビエントになることは時に避けがたく、決して違法ではないが、往々にして心乱すものであり、例外なく破壊的なものだ。生粋のアンビエントたちは二十数年前、ロングアイランドに住んでいた親から生まれた子供たちだ。このオリジナルたちは三百を越える数ではないが、忠実な信者たちが彼らに加わり始める以前ですら、もっともっと、はるかにたくさんの数のように思えたものだった。

"Ambient" 1987


ニューヨーク

 温暖化による海水面の上昇で、ニューヨークは水没の危機に瀕している。高い堤防に囲い込まれつつあるマンハッタンの高層ビル街と、腕を失った自由の女神。
 冒頭、リムジンに乗った主人公たちとともに、読者は変わり果てたニューヨークの観光ツアーに出発する。セキュリティレベルに従って街はいくつもの塀と鉄条網で分断され、廃墟と化したブロックが虫食い穴のように無数に散在する。タイムズ・スクウェアは闘技場に姿を変えている。
 政府に反旗をひるがえす地下組織の数は数えきれず、毎日のように街のあちこちで爆弾が炸裂する。また、それらに対する弾圧も容赦なく行われ、治安維持の名目で街に駐留するほとんどが未成年の兵士たちは、暇つぶしに市民を血祭りにあげる。




「なにが欲しいかって聞いてんだよ、おい」
 女がナイフの刃を私の頬に突き立てた。
「おまえの魂」
 そう応えると私はヌンチャクをひらめかせ、正しい角度で振り上げて、相手の鼻の正しい場所に叩き込む。女は呻き、痙攣しながら床を打った。アヴァロンは壁に頭をつけてバランスを取りながら両足を蹴り出し、醜いほうの喉笛をとらえた。こちらの相手は息を詰まらせ、ひっくり返る。アヴァロンが喉に蹴りを入れるともはや息も詰まらなくなった。

"Ambient" 1987


ロング・アイランド戦争

 原子力発電所の事故に端を発する暴動がエスカレートし、ニューヨークの東に長く伸びたロング・アイランド全土を舞台に大規模な内戦へと発展したもの。
 この物語の時点ですでに勃発から十五年が経過しており、依然終息のきざしはない。兵士の消耗率は非常に高く、未成年も徴用されては次々と命を落とし、終わりの見えない泥沼の内戦に、軍の志気は低下の一途をたどっている。



ドライデン・ジュニア

 「おやじさん」ことサッチャー・ドライデン・シニアはすでに一線から退き、息子であるサッチャー・ドライデン・ジュニアが社の経営を任されている。ある出来事を境に常軌を逸しはじめた彼は常に麻薬づけの状態にあり、経営を急速に破綻させてゆく。その最たるものが「会議」と名付けられた殺戮ゲームである。自社と取引先の幹部とを特設のアリーナで闘わせ、多く相手を殺した側が相手の資産を自由にできる。もちろんドライコ側がつねに勝利をおさめる。




 サットコムのマーケティング・マネージャーがまず俎上にのぼった。我が社の広告部門の副社長が懸案の問題点を多方面から検証し、マネージャーはきりきり舞いしてフロアをすっ飛んでゆく。我が社の女子執行部員が手斧の切っ先をくり出し、これに不適格の裁定を下した。審議は継続される。この手の会議というやつは実にアドレナリンを沸かせるものだ。チーム同士が合意に達するまでの平均所要時間は四分。そのあとで、必要ならば代理人の登場となる。今回の会合は手強く、我々の出番までに六分を要した。

"Ambient" 1987


米露戦争

 アメリカとロシアは恒常的な戦争状態にある。だが、両国が直接に戦火を交えることはなく、戦いは常にどこかの国で行われる代理戦争の形をとる。兵器が輸出され、両大国は潤う。第三世界の搾取はより血生臭い形で続いている。そのようなお膳立てを整えたのが何者かは、言うまでもない。



アンビエント

 独自の言葉をもつ奇形の集団が、なかば都市伝説のように恐れられながら、ニューヨークの片隅に暮らしていた。
 「永遠に周囲に存在する者」として自分たちを「アンビエント」と名付けた彼らは、レスター・マキャフリイという男がかつて語った「神」と「善神よがみ」の教義を信じ、救世主ジョアナの再臨を待っている。
 オマリイの姉、イーニッドは自ら望んでアンビエントに加わった。シンパシーの表明として、志願者たちは自身の肉体を造り変える。イーニッドが選んだのは乳房の切除と、頭蓋骨への何本もの鋭い棘の移植。話す言葉もつねにアンビエントの言葉であり、この姉を介して、オマリイとアンビエントたちとのあいだには友好的な関係がある。




 互いに離れた場所に身を置きながらも、歳若いアンビエントたちは独自の隠語を作り出した。スペイン語−英語スパングリッシュがすこし、時代遅れの英語がいくらか。彼らが気に入ったか、勝手に作ったスラングのあれこれ。アンビエント語の存在理由レーゾン・デートルは、目に見える姿ではなく言葉のなかにおいてのみ、生来の恐ろしい見てくれなどに隠されたり損なわれたりすることのない真の美が見出され得る、というものだ。馴染みのない者でもその言い回しを音楽的と感じた。

"Ambient" 1987


「不安なく、不思議なく」

 "Worry not, wonder not"。ドライコのキャッチコピーである。
 企業のマークとして使われているのは、お馴染みのスマイル・マーク。「ビッグ・ブラザー」のパロディのように、あらゆる場所、あらゆるメディアに姿を見せている。





やいばの上に留まるか」
「ああ」
「先の果てまで切り薙ぐはかなわぬぞ、シェイマス」
「俺は気を取られすぎてるんだと思う」
「其は何ぞ」
「アヴァロン」
彼女あれは煙は好むが火は好かぬ、と?」
「いや、違うよ。あの娘は手を貸すつもりでいる」
「何が病む、されば」
「あの娘に何が起こるかが怖い。俺たちがどうなるか」
「藪を叩いて鳥を得よ。あの娘が大きな、おおきな娘であるは確なり、ブラザー・O。自ら切り抜けるは自然」

"Ambient" 1987



 六部作は、ユーモラスで派手なアクションに満ちたこの作品で幕を開ける。のちに出た「ヒーザーン」などに比べると背景となる社会ははるかに非現実的で、マンガ的と言ってもいいほどだが、社会の荒廃がそれだけ進行したのだと解釈できなくもない。
 「ポスト文学」の未来の英語とアンビエントたちのこれまた人工の言語とが、いずれも、それを語る人物の前に比較的現代の英語に近い言葉で話す人物を配置することによって、その奇妙さがより際立つように演出されている。

 語り手であるシェイマス・オマリイは、会話では現代の英語とさほど違いのない言葉だが、地の文にはうって変わった重厚さが漂い、アンビエント語の影響が強く現れている。語り手のアンビエント達に抱くシンパシーがそこには現れている。オマリイ自身も、職務上の安全策として(つまり、掴まれたり拷問で切り取られたりせぬように)両耳を切除したあとに作り物の耳をつけており、自分自身をアンビエントに近いものと感じているのだ。