元読者3人からなる「月刊OUT勝手連」が、当時の編集部員やライターなど、雑誌にかかわった方たちへのインタビューを通して、18年にわたる雑誌の歴史を振り返ります。

公開日:2025年9月x日
OUTは背表紙を見た方がいろいろ変遷がわかるんじゃないか、というので、背表紙に載っている作品タイトルをずらっと並べてみたら、やっぱり制作会社で分けたくなっちゃって。それがこのリストなんですが、やっぱりサンライズ[93]がすごく多いんですよ。
いや、当然でしょ。
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その中でも葦プロ[94]とかタツノコプロ[95]が、食い込んでくるっていう感じのがあって。で、AIC[96]がちょっと入ってくる。
まあまあ、そうだね。やっぱりメインはサンライズと東映。でもうちはどっちかっていうとサンライズか。東映って言えばセーラームーン[97]だよね、この頃は。
僕らにとっては実はビックリマン[98]だったりするんです。(※KNはビックリマンのファンだった)
ビックリマンはシールの話をずっとやってたもんね。あれ、担当はLさんなんだけど、毎回ライターさんと一緒に、次どうするって悩んでたよ。あれはちゃんとメーカーさんと組んでやってるから、メーカーさん側からネタを今回こうしましょうって出してもらって相談してやってるんだけど、それが途中からちょっと困ってた。あれだけの連載になると。[99]
ビックリマンの同人誌やってる人はみんなOUT買ってましたよ。
そうか。あそこに情報があるから。
設定資料から何から、先の話も色々載せてくれてるし。他のアニメ誌ではまず見ないのに。
そういうページもあるよね。他のアニメ誌に載ってないページ。『無責任艦長タイラー』[100]は…タイラーは担当が私だから。表紙も、タイラーが人気かどうかはよくわかんないけど、私が好きだからお願いして。アザリンの表紙とか、普通やんないでしょっていうくらいめちゃくちゃ気合いが入ってるイラストでさ、すごく嬉しかった記憶がある。
表紙を頼む時ってそこもあるんだよね。ちょっと人気すぎてなかなか描き下ろしてもらえなくて、最後はコラージュっぽくなっちゃった作品とか、それでも表紙を取った方が絶対にいいのでやらせてもらった作品もあったし。
(サムライトルーパー[101]の項目を見ながら)あの頃はさ、「アニパロコミックス」の作家さんに表紙を描いてもらったりもしてたよね。あれはもちろん許可を取って、「こちらで探した作家さんで描いていいですか」って断って描いてるんだけど、その後も何回か中の記事ページの描き下ろしでそういうのがあるんですよ。最初は制作会社さんにお願いするんだけど、現場が忙しくて手が足りない、なのでOUT側で頼んだ人に描いてもらって、それを確認してもらって、載せる。
『てやんでえ』[102]とかは何回かそれでやってるよね。当時、現場での描き下ろしは無理。でも載せたいから、私の大学の同級生に頼んで描いてもらって(笑)。背景は投稿者の水城智弘くん[103]に描いてもらったり…彼は絵がめちゃくちゃ上手くて、何回かお願いしてるね。そういうのもありました。でもほんと、うちは安かったし、よく描いてくれたと思いますよ。
そういえば河森正治さん[104]。F1特集で河森さんに原稿をお願いすることができて、当時は『新世紀GPXサイバーフォーミュラ』[105]が終わってずいぶん経ってたけど、「河森さんが想像する今の、もしくは未来のサイバーフォーミュラってどうですかね」ってお願いしたら、描いていただけたんです。そしたら後日、OUTが終わってずいぶん経ってからだけど、サンライズが毎年やってたサンフェスっていう…映画館で昔のテレビ・OVAとか映画を上映するっていう企画で「サイバーフォーミュラ」をかけることになって呼んでいただけて。その時に思い出して、「OUTで描いていただいた原稿、僕がお預かりしてるんだけど、もしよかったら」って、持って行って展示してもらったんだよね。
そうそう、漫画家さんの特集もやらせてもらった。伊東岳彦さん[106]もそうだし、桐嶋たけるさん[107]は私がやりたいってやらせてもらったんだよな。ご本人に相当いろんな協力をしてもらいました。
島本和彦さんの特集[108]もやったよね。『燃えよペン』とOVAになった『炎の転校生』の二つ一緒で特集をやらせてもらった。あれは島本さんの当時の東京のスタジオに行ってインタビューしてるんだけど、その「燃えよペン」の原稿は竹書房さんに協力していただいた。
それで編集部にお願いしに行ったら、「いいよ、貸してあげるよ」「はいっ、好きなの選んでいいよ」って…。いやいや、これ生原稿じゃん! 雑誌のページで選んでから後でコピーを貰うのかなとかを考えてたから、まさか生原稿を見られるとは思ってなかったんだよね。私もデビュー作の『必殺の転校生』から読んでて大好きだから、嬉しかったな。それで、選んでコピーして持って帰ってあの記事が出来たの。
後になって、『炎の転校生』がブルーレイになった時のブックレットのインタビュー、やらせてもらったんですよ。で、島本さんに以前取材したんですという話をしたら「それは覚えてないや」って。そうですよね。
アニメ記事の話の流れから、声優さんの記事についてもお聞きしたいんです。大徳さんにもお聞きしたんですが、OUTは大徳さんの時代に声優さんのインタビューをいっぱいやってるんですけど、Y編集長の時にいったん2、3年ぐらい途絶えてるんですよね。それが、ある時、小林さんがやられてた頃にだんだん増えてきて、声優さんソロCDインタビューというシリーズに続いていく。'89年12月号で林原めぐみさん[109]と佐々木望さん[110]が載ってるのが、その後期の時代の盛り上がりの始まりなんです。
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(リストを見ながら)林原さんは私やってるから…このへん私もやってると思うよ。たぶん日高のり子さん[111]…矢尾一樹さん[112]も。そうだね、このリストの全部じゃないけどかなりやってると思う。
この辺の背景をお聞かせいただけないでしょうか。
NG FIVEってあるけど(※'90年2月号「NG FIVE ON STAGE」の記事のこと)、やっぱり新しい声優人気が出たんだろうね。林原さんは、『ワタル』[113]とかもそうだけど、もう『ミンキーモモ』[114]は始まってるかな? いろんな役をやってて、すでに注目されてる時だと思う。で、山寺宏一さんでしょ。林原さんも山寺さんももうこのころラジオをやってるからね。『グランゾート』とかNG FIVEはNさんかも、自分の担当の作品だから。高山みなみさん[115]はたぶん私だったと思うな。ここで高山さんと話して、のちに彼女がCDデビューする頃まで仲良くさせてもらって、高山さんのバンドの初ライブの時に遊びに行かせてもらったりしてた。
かないみか[116]さんは『ようこそようこ』かな…森川智之さん[117]もたぶん私だね。時々担当は変わるし、途中で私も大きい2・3ページぐらい使うインタビューからは外れたから、全部ではないんだけど。
声優記事があんまり載ってない'87年から'90年くらいまで、声優っていうのはあんまり人気がなかったりしたんですかね?
私がまだ入っていない時代だから勝手な印象になるけど、俗にアニメの冬の時代っていうのがあったでしょ。それもあって、いちど下火になるのは間違いない。で、このリストだとわかりやすいけど、草尾毅さん[118]のところにNG FIVE[119]って書いてある。新しい声優人気がここで生まれてるんだろうね。番組自体もそうだけど、声優人気としても明確に、ここから変わったよねっていうものだった。
その前の「聖闘士星矢」[120]では、そこまでの盛り上がりはないと思うんですよ。
たぶん、あの頃はまだそこまでじゃないだろうね。キャラクター人気がメイン。NG FIVEっていうネーミングもそうだけど、作品に出ている声優さんが、歌を歌います・イベントをやりますというのがあったから、そこも含めてでしょ。もうほぼNG FIVEの人達はインタビューで拾ってるよね。佐々木望さんもそうだし、竹村拓さん[121]、西村智博さん[122]、中村大樹さん[123]も。女性だと、林原さんは注目の若手株ってことなんだろうね。日高のり子さんは少し上の世代だから、これは当時の『らんま1/2」[124]の人気もあるよね。まさに新たな声優人気が広がっていく時代だったんじゃないかな。
私はこの時期、逆にアニメのスタッフの方にはあまり会ってないんだよね。雑誌としても、声優さんインタビューが増えているのに比べスタッフインタビューは逆に減ってると思う。もちろん自分の担当だったり、そういう部分では会ってるけど、他の作品とか単発の映画とか、そういうところで会うかっていうと、なかなか会っていない気がするな。
OUTにはインタビューのページがあって、声優さんだけでなくて、大徳さんとかY編集長時代の初めの方は押井守さんとかそういう監督インタビューもいろいろあるんですよね。ところが'80年代末くらいから先はあんまりなくて、作品に絡んだのが時々あるくらい。その代わり、声優さんのインタビューがすごく多くなっていく。
そこがまさに時代だと思うね。'80年代だと、声優さんを扱ってたのはアニメ誌ぐらいなんですよ。ゲームにはまだそこまで音や声がついてないから。それが'90年代に入ってゲームに声が付くのがあたりまえになって変わってくる。アフレコにゲーム誌から取材も来るようになって、どんどん声優を扱う雑誌が増えて、同時にアニメ誌の中でもページが増えた気がするな。
今はどうかよく知らなくて恐縮なんですが、声優さんがソロで音楽CDを出すっていうのは、それもやっぱり時代なんですかね。
それもあると思いますよ。まさにあの頃はいろんなメーカーさんから出してた。グループじゃなくて単独で。それもオリジナル曲だからね。その頃が今のムーブメントの走りといえるんじゃないかな。それにちょうどあの頃、声優さん単独のラジオ番組が増えたんですよ。アニラジは徐々にここから増えていくんだよね。
出だしはアニメとかゲームのタイトル番組かもしれないけど、その番組の人気が出るとそれで終わらなくて、元々のアニメとかゲームの宣伝期間が終わっても、ずっと番組が続くわけ。もちろん、その次に予定していた別作品の宣伝もそこにプラスしたりする工夫もあるんだけど、その番組さんのスポンサーがレコード会社だったりすると、そこからパーソナリティだった声優さんのCDが出たりね。
そういうメリットもあったりするんじゃないかな。そこがうまく合致して、ほとんどこの時期にCDを出してる声優さんたちはラジオ番組を持っていると思いますよ。
『リスナーズ・カンパニー』[125]っていう、ラジオの投稿ページもOUTにはありましたもんね。
あったね。あとさ、アニラジの番組タイトルと放送局のリストをOUTの付録で付けてる[126]。そういう時代なんだろうね。ラジオは住んでいるところが放送局からちょっと離れてても聴けるから。
そういえば、カラオケのリスト[127]もつくったな。あれは、当時ニフティサーブ[128]っていういろんな会議室(掲示板)を持っているSNSがあったでしょ。そこで知り合った1人がそういうのに詳しくて、「あったらいいよね」「じゃあやろうか」って作ったんだよ。
ニフティサーブのことはOUTでも書かれていて、そのニフティ仲間の1人の方がエッセイも書かれていました。あと、OUT版声優名鑑[129]っていう声優リストの記事に、協力:ニフティフォーラムってありますね。
あの人はニフティのアニメのコーナーの責任者でね、だから顔が広いんですよ。アニメ業界でもいろいろやってる方で、その人が知り合いだったから、書いてもらうことになったの。ニフティサーブには最初アニメフォーラムっていう複数の会議室をまとめた場所ができて、そのあと声優のフォーラムもできるんだけど、その過程をずっと私も見てた。である日、「アニメフォーラムの飲み会があるよ」って誘っていただいて行ったら、そこに古谷徹さん[130]がいた。そういう思い出もある。古谷さんもそういうパソコンとか大好きな人で、昔からやってたからね。
会議室っていっても、ただリアクションを書き込むだけじゃなくて、例えば、CDとかアニメのビデオを同じ時刻に一斉にスタートボタンを押して、感想をリアルタイムに書き込んでいくとか…今で言うと、youtubeの同時視聴ってやつ。そんなこともいっぱいやってた。
昔は配信なんてないから、東京と地方で同じアニメでも放送の時間帯が違ったでしょ。だからリアルタイムで一緒に書き込むってことができなかった。でもCDやビデオだったら、「一緒にこの時間にプレイボタンのスイッチを押しましょう」みたいなのができる。だんだんそういう交流も増えてきて、それで声優さんのファンも増えてきた感じかな。
そうやって遊んでた仲間内に、さっき言ったアニソンのカラオケとか詳しい人がいて。あの頃は、通信カラオケが今みたいに統一されてないから、メーカーで番号が全部違った。で、その番号をリストするとわかりやすい・便利でしょって。
それをみんなでカラオケボックスに持っていって見ながら歌うと。
だって、今のリモコンと違うから、曲名で選べないんだよ。本をめくって番号を調べると、さっき言ったようにメーカーごとに違う番号で。「俺たちどうせアニソンのページしか見ないんだから、だったらまとめようぜ」っていう流れだよね。画期的だったんじゃないかな、あの当時にしては。
アニラジのリストも、まだ『アニラジグランプリ』[131]とかなかった頃だと思うんだ。ちょっと前だったかな。その意味では時代はちゃんとつかめてたかなと思いますね。だって声優さんの専門誌、たとえば『声優グランプリ』[132]だって、我々がそういう取材をいっぱいやった後に出るでしょ。ちょうどOUTが終わるちょっと前かな。
この頃、他のアニメ誌で声優さんの記事っていうのは同じような感じでやってたんですか?
やってるはずだよ。
じゃあそれは業界として声優ブームの波が来ていた頃だと。
それは確実にあるね。さっき言ったレコードメーカーさんもCD出すから取材してくださいってのもあったし。
ちょっとこれは素人質問なんですけど…。声優さんは別にミュージシャンになりたいと思って声優をやってるわけではないじゃないですか。で、好きな人はもちろんいるんでしょうけど、なんで私が歌を歌わなきゃいけないのかしら、みたいなことはなかったんですか。
そういう人もいますよ、それは。それで抵抗してなかなかレコード・CDも出なかった人はいますよね。それは私からは言えないから、それぞれのファンの方が「あの人好きだけど、なんでなかなか出してくれなかったのかな」と思えば、それが当たりですよ。あんな人気があるのになんで出なかった、って人、たまにいるでしょ。それはきっとそういう理由。
もちろん、「キャラソン[133]はお断り、僕は歌はできないので」っていう方はとうぜん昔からいらっしゃる。そんな人が、番組の収録が進んでいる中でいきなり「キャラソンがあるので」って言われても断るよね。昔はキャラソンが珍しかったから(声優さんも)歌うのが前提ではないわけだけど、今はキャラクターが歌い手だったりすると、当然歌わなきゃいけない。でも脇役が歌うか歌わないかっていうのは、アニメオリジナルだと最初は分からないからね。
それはどうなのっていう話だと…、自分が仕事をしたから言うわけじゃないけど、『ONE PIECE』で、47都道府県とコラボしたCD[134]があって、それがとてもわかりやすい。それぞれのキャラクターが、47都道府県に配置されて、自分の歌を歌うんですよ。普通にネット検索すると出てきますから、それを見ると面白いよ。
それまでCDとか出してないベテランも含めてね、声優さんたちが自分が演じているキャラクターで歌うんですよ。でね、面白いのが、ちゃんとメロディーにのせて歌ってる人と、朗読的にセリフを言っている人と、いろんなタイプがある。メロディーに乗ってなければ歌じゃないよねっていう意見もあると思うけど、曲は流れているんだからこれもキャラソンだよね。
面白かったですよ。そこで自分なりの答えが見つかるわけです。そういえばこの人はこれまでキャラソン歌ってなかったけど、つまり歌わない人なんだ。もしくは、この人のキャラソンはじめて聞いた、とかね。これは『ONE PIECE』を見ていない人も楽しめると思うな。
さっき言ってたように、声優さんが歌わなきゃいけないなんてことはないから、(嫌だったら)断るわけでしょ。でも、売れるからやりたいっていうメーカーはあるわけで、そこの葛藤はいろいろあったと思いますよ。
もちろんどんな曲が提供されるかは、自分の趣味嗜好と合ってない場合があるわけでそこは難しいとこだなと思うね。例えばロックンロールなんてわかんないのにロックンロールがいいんですよっていきなりディレクターが持ってきたら、それは歌いたくないって断っていいのかって問題もあるじゃない。難しいよね、歌ってみなきゃわかんないしね。あと、本人の趣味嗜好とは違うから良くないってわけでもない。意外と歌声が合ってるかもしれないし、ディレクターは当然それを見越してやってるわけだから。
でも結果的に歌を歌うことで、表現の幅が広がったって話も聞こえてくるし。演技もそうだけど、表現の仕方。どう表現するかっていうのを彼ら彼女たちは狙ってるので、それがセリフだろうと歌だろうと、顔の表情・身体の動きだろうと、たぶん全部一緒なんだよね。我々が思ってるほど、実はそこに境目はないんだと思います。
OUTの記事を読んでると、人によっては「今度の曲は自分で歌詞を書いて、曲はこういうイメージで統一したんです」とか、ミュージシャンとして答えている方も結構いらっしゃって。こういう人たちはこれが好きなんだろうな、たぶんそういう人にたくさんインタビューしたんじゃないかな、と。
もちろん。だって「インタビューさせてください」って言って「いいですよ」っていうわけだから、ちゃんとご本人が納得して、こういう方向でっていう自分の意思がある方にインタビューしに行ってると思う。そういう意味でも、いろんな方に役者としてだけじゃないお話を聞けたのもよかったなと思う。
井上喜久子さん[135]の海外ロケにくっついて行ったっていう話がありました。[136]
うん、「まんぼう島」ね。ありましたね。だからさっき言ったように、アニメの側にはバブルが遅くきたんですよ。
それは編集部がお金出したんですか?
出すわけないじゃん!出せるわけないじゃん!
そうですよね(笑)。
アニメ誌だと、ニュータイプもアニメージュも行ってないから。うちとアニメV[137]だけ。ちょっとこれも余談だけど、どうせ行くなら記事だけじゃつまんないからっつって、私はニフティサーブの人と組んで、あの当時Appleしか出てなかったデジカメを持って行って、現地からネットで画像送ってるんだよね。日本初の、声優さんの海外記事の、リアルタイム…まで行かないけど、時間差があまりない、初めてのネット記事だと思います。
もうひとつ声優さんの話で、久川綾さん[138]に毎月インタビュー、みたいなことをされてますね。
あの当時は久川さんに、女神(「ああっ女神さまっ」[139])も含めて意外と多く取材をしてて、仲良くさせてもらってたのね。で、「なんか面白いことしたいね」って話になったの。当たり前だけど、他の雑誌に載ってる久川さんの取材記事って、ほぼ『セーラームーン』の話。それは当然だよね、人気あったし。
ちなみに、OUTはアニメの制作スタジオごとに担当が分かれてたから。『セーラームーン』は東映で、Nさんだった。私は担当じゃないから編集部的には『セーラームーン』に触れられないわけ。それはそれでいいんだけど。なら、私は「久川さんの『セーラームーン』じゃない記事を書く。それも毎月書く。面白くないっすか。」…って話になって。青二[140]のマネージャーさんがニコっと笑ってくれたから、「じゃあ、毎月やらせてもらいます」って。
インタビューとなると別だけど、取材で終わるなら私が現地に行って書くだけ。久川さんの負担も少ないしね。もちろん、久川さんの出演作を青二さんからちゃんと教えて貰って、アポイントを取って現場に行くんだけど。ちょっとした記事…下手をすると4分の1ページもないぐらいの記事を、毎月どこかで載せる。それを遊び感覚で始めて。途中で言ったんだっけ?毎月載ってるって。
連続インタビュー[141]みたいな言葉がありました。
連続で載るようになってから言ったのかな? 連続でやらせてもらえたのは、単純に私と久川さんが面白いと思ったからなんだよね。
休刊号に、久川さんだけ取り上げてズルイと言われていた、って言葉が載ってます[142]。
そんな投稿があったんだね。けど、ボリューム的にはそこまでの量じゃないから。許してください。
あっ。それを言ったら、確か森川智之さんもそうだよね。『テッカマンブレード』[143]がテレビシリーズの初主役で。タツノコだから私の担当だった。テレビシリーズの時は、そんなに多くは取材できなくて、OVAになってから何かやりたくて、森川さんと話をしてね。アフレコに毎回私が取材に行くから、コメントをください。コメントも普通に頑張ってますってだけだとつまんないから、ちょっとしたレポートと一言コメントぐらいにしましょうって始めた。
そしたら何回目だったかな、アフレコのスタジオのちょっとしたロビーで「今度はこんな写真どうですか」って話をしてたら、いきなり共演者の林原さんが現れて「何やってんの」って。これこれで、って説明して、で今回また写真撮るんですって言ったら「私も載りたい」って。いやちょっと待って…。
「写真撮るためには事務所のOKを取ったり、順番があるんです」
「えー、そうなの?」
「そうなんです」
「じゃあ後ろ向いてればいいよね」って。
それで林原さんが後ろ向きで、森川さんが手前を向いてるって写真を撮った。[144]
あの頃はそのぐらいの緩さというか、アットホーム感があったんです。森川さんもそうだけど、距離感的にも近いし親しくさせてもらった。アニメ誌と声優さんの距離感っていうのは、ある程度近かったかもしれないね。
OVA『ああっ 女神さまっ」の音楽ディレクターさんもとてもフレンドリーな方でね。「アニメVとOUTは『女神』の特集いっぱいやってくれたから」って、井上喜久子さんのソロアルバムを作る時に、「取材があってもなくても構わないから、レコーディングスタジオに遊びに来てください」って言ってくださった。
それで私とかアニメVが遊びに行ってたら、さっきのまんぼう島の記事に繋がったり。他にも、スタジオに行ってて、夜になったから「帰ります」って言ったら、ディレクターさんに「食べて行きなよ」って晩飯をごちそうしてもらったりした。
で、その食事の席に喜っ子さんもいらっしゃって、もちろんこっちは恐れ多いと思いながらその場にいるんだよ。そしたらその席で、喜っ子さんと岩男潤子さんのデュオ、おさかなペンギン[145]の話になって「アルバムを出すけど、シングルカットをどうするか悩んでるんだよね」って。こっちは「ふーん、そうなんだ」って聞いてるわけ。
「おさかなペンギンのテーマ」って曲があるから、曲はこれにしよう、でもカップリングどうしようかと。で、話を聞いてたら、「そっか、もう一曲は遊んでもいいんだよね」って流れになって。そしたら、
「じゃあ小林くんたちが歌えば」
「えっ?」
冗談だと思って「私たちただの編集ですよ。なに言ってんすか、ははは」って言ったら、「いや、本気だよ」って言われて。
「じゃあ作詞もやってみようか」
みたいな話にまでなって、私とアニメV編集部の水間くんがアイデアを出して、ディレクターさんがそれをまとめてくださったんです。それで本当にシングルCDが出た[146]。だから、喜っ子さんのところに取材に来てた2人という理由なんだよね。そういう場があった。
でね。そのディレクターさんが遊び心のある人で。一回きりの場合って(ギャラは)普通は買い取りなんですよ。我々は売れるわけでもないし、2枚目を出すわけでもない。だけどその時にディレクターさんが、
「じゃあ印税契約もする?」
「はあ? いやあ、おもしろいけど難しくないですか」
「いいんだよ、細かい経理はメーカーのそういう部署がやるんだから」
カラオケに入ってるから、それで今でも年に数円、印税の通知がちゃんと来ますよ。作詞もやって、歌って、その二つ分。
じつは、さっきの話に出てきたニフティサーブで知り合った別の人に、タイトーの社員がいてね。CDが出る前に冗談で、「この曲、カラオケに入んないかな」って聞いたら、「ちょっと相談してみるね」って、そしたら担当の人が乗ってくれて、「やるよ」って。だからおかげでCDの売り上げだけじゃなくて、カラオケで誰かが歌ってくれると印税が入るんですよ。
30年も経ってまだ歌データが残ってるんですか?
まだあると思うよ。(※2025年9月現在、JOYSOUNDにて、まだあるようです。)でもリクエストがないと消えちゃうから、ここで言わせてください(笑)。OUTの読者の皆さん、『アニメ雑誌の編集は3日やったらやめられない』(副編ブラザーズ)をぜひカラオケでリクエストいただければ。フルコーラス歌う必要はないんで、頭のツーコーラスくらい流れたらストップボタンを押してもらって構いません。よろしくお願いします。これ残すとおもしろいでしょ。歌詞にOUTって残ってるんだから。アニメVとOUT、もうない雑誌が2つ歌詞に入ってる。
それはおもしろい。
ぜひぜひ皆さんリクエストお願いします。
それとね、DJ系でアニソンとかやってる人の作ったCDで、何枚かあるうちの一枚(「声優レアグルーヴ vol.1」)[147]にこの曲を入れてくれてるんだよ。理由は知らないけど、DJでかけると盛り上がるんだって。それで意外とかけてくれてて、それも含めてうちに印税が入るので、年間、数円(笑)。一時期は年間にコーヒー一杯くらいは飲めたんだよね。
これも、バブルの残り香で遊ばせてもらってた時代の最後なんじゃないかな。
OUTが休刊した後っていうと、NHKのアニメを紹介する番組(金曜アニメ館)[148]があったでしょ。自分の仕事だとCSの番組『アニソンカウントダウン』とか、その後の、飯塚雅弓さんと一緒に出てた『アニメぱらだいす』[149]とか…自分のあとおたささ[150]が司会をやるんだけど…まさにアニメを紹介するテレビ番組の過渡期だよね。それはたぶんOUTが終わった時代とリンクしてるんだよ。
OUTがアニメ雑誌の代表格ではないけど、ああいうアニメ雑誌がひとつのヤマ場を越えて終わって、そこからさっき言ったようなパソコン通信・インターネットもそうだけど、そういう(マルチメディア的な)流れに入っていく時に、アニメが趣味趣向としてより一般化していく過程でアニメや声優を扱える番組があってもいいよね、ってなってきた。
CS側では、スカイパーフェクTV!とかだけじゃなくて、ディレクTVとかいろいろでてきた。チャンネルがいっぱい生まれて、その中の1つとしてアニメを扱う番組が作れないか模索してたのかな。そこで私に声がかかって、アニソンカウントダウンの番組とか…それだったらさっき出たソロの歌手がいるから、アニソン歌手も含めてゲストとして来てくれるしね。それが終わったら「今度はゲストも呼べるもうちょっとバラエティ的なものをやりましょう」って。
声優さんがいっぱい出てた『渋谷でチュッ!』[151]ってテレ東の番組、あれもあの時代なんだよね。OUTが終わって、そういうものが増えていく時代。いま振り返れば、そういう時代の分岐点の1つだったんじゃないかなと思う。もちろん当時は全然気づいてないんだけど。
ちょうどOUTが'95年の5月号で終わって、その年の10月に『エヴァンゲリオン』[152]が始まっていて、だからOUTはあともうちょっとで『エヴァンゲリオン』に間に合わなかった。おっしゃったように、少しずつ変わってきた過渡期っていうのが、まさにその『エヴァンゲリオン』に象徴されるのかなって、いま見ると見えるんですが。
偶然かもしれないけど、そういうことはあるよね。OUTが終わるちょっと前に、今ある『声優グランプリ』が始まってたり、なくなっちゃったけど『アニラジグランプリ』もあったり、そういういろんなものがちょっとクロスする時期だったかもしれない。
でもね、「OUTももうちょっと頑張れば『エヴァ』が始まったから、そこで伸びたんじゃない」とかよく言われたんだけど、私の中ではそうじゃないと思うんだよな。
そうなんですか?
だって『エヴァ』をOUTがいじってさ、面白いと思う? 1回2回ならいいけど、だんだん、悪い意味でのSNSっぽくなっちゃうんじゃないかな。「このネタはこうだよね、あのネタはこうだよね」という部分だけを突っ込んでいく投稿とか記事が増えて、本質からだんだんずれていっちゃう気がするんだよね。
だって、OUTって遊ぶ側で、考察する側にはあまりいかないでしょ。OUTだったら考察はガンダムセンチュリーと同じで、ちゃんとした誌面を別に作ってやるべきだと思うんだよね。でもそれは、あの頃は作れなかったと思うんだよ。誌面で遊ぶだけだったらSNSと変わらないかな…。それを思ったのは10年、20年経ってからですけど。
だけどOUTの歴史って、いま振り返ると短いよね。18年しかないんでしょ。だってアニメージュは何年あるんだよ。
47、8年ですか。
だからもう、アニメージュの前にOUTがありましたって言っても、全然偉そうじゃない(笑)。
だけど、こういう話を聞いてもらえるのはありがたいね。あと、お茶の水で会えるのが、あと何年?
2042年だから、あと17年ですかね。
意外とあともうちょいだね。OUTが終わったときにいっぱい投稿があってさ、「そのころ私生きてるかしら」とか、「そういう話、誰が覚えてるんでしょう」とかさ、そういうネタばっかだった。でも終わってから過ぎた時間を考えたら、あと半分以下だから。お茶の水橋口はちゃんと残りそうだしね。
あそこもね、2042年に向けて着々と整備が進んでいますから(笑)。
(了)
[93] サンライズ : 『機動戦士ガンダム』('79年)により、アニメ業界にリアルロボットブームを巻き起こした。'87年の社名変更(日本サンライズ→サンライズ)以降、原作付きアニメも手がけるようになるが、それでも『エルドランシリーズ』『勇者シリーズ』などオリジナル作品が多く、それゆえにアニメ誌に取り上げられることも多かった。
[94] 葦プロダクション : 『魔法のプリンセス ミンキーモモ』『戦国魔神ゴーショーグン』などを手掛けたアニメ制作会社。Mさん時代には『NG騎士ラムネ&40』『ミンキーモモ(第2作)』『アイドル天使ようこそようこ』が放送されていた。そしてなんといっても『マクロス7』は、OUT休刊号のアニパロ特集『ラムネス7』のパロ元である。
[95] タツノコプロ : 『科学忍者隊ガッチャマン』『タイムボカンシリーズ』などを手掛けたアニメ制作会社。この当時は『天空戦記シュラト』『無責任艦長タイラー』などを制作。
[96] AIC : 株式会社アニメインターナショナルカンパニー(略称AIC)。『戦え!!イクサー1』『ああっ女神さまっ』『天地無用!魎皇鬼』など、'80年代後半から'90年代前半にかけて数多くのOVA(オリジナル・ビデオ・アニメ)を手掛け、一時代を築く。その後テレビアニメ制作に軸足が移り、『神秘の世界エルハザード』『魔法少女プリティサミー』『天体戦士サンレッド』など。
[97] 美少女戦士セーラームーン : ’92〜’97年に放送された東映動画制作のテレビアニメシリーズ。武内直子の読み切り漫画『コードネームはセーラーV』を原案としたメディアミックス作品であり、ターゲットの女児だけでなく幅広い年齢層を巻き込んで社会現象化した。
[98] ビックリマン : '87〜'89年放送の、ASA TSU・東映動画制作のテレビアニメ。ロッテのチョコレート菓子「ビックリマンチョコ」の悪魔VS天使シリーズを原作とし、聖フェニックスと8人の若神子が理想郷を目指して旅する物語。OUTではなぜか他のアニメ誌より比較的多くの記事が掲載されており、当時のビックリマン同人誌界隈ではOUT読者率が高かった。
[99] 連載 : 『新ビックリマン情報局』は'89年10月号-'90年11月号。『スーパービックリマン情報局』は'92年12月号-'93年7月号。
[100] 無責任艦長タイラー : '93年に放映されたタツノコプロ制作のアニメ。原作は吉岡平のライトノベル。アザリンの表紙は'93年8月号。
[101] 鎧伝サムライトルーパー : ’88-'89年に放送されたサンライズ制作のアニメ。聖闘士星矢の商業的成功の影響を受けた作品だが、星矢同様、女性アニメファンからの絶大な支持を集めた。OUTでは'88年10月号から5ヶ月連続で同作品キャラクターが表紙となった。イラストはアニパロ作家の岡本章。
[102] キャッ党忍伝てやんでえ : 90年-'91年に放送されたタツノコプロ制作のギャグアニメ。海外で人気があり、2025年にオランダのゲームスタジオによる新作ゲームの制作が決定した。
[103] 水城智広 : 常連投稿者、のちにカットなどを手がける。
[104] 河森正治 : メカニックデザイナー、アニメ監督、演出家。メカデザインでは『超時空要塞マクロス』のバルキリーや、『新世紀GPXサイバーフォーミュラ』などが有名。インタビュー中の記事は'93年1月号 『F-1's FREAKS part2』でのイラストエッセイ。
[105] 新世紀GPXサイバーフォーミュラ : '91年に放映された、架空のモータースポーツを描いたサンライズ制作のアニメ。TV放映では玩具の売り上げが振るわず打ち切りになったが、中高生以上の層に人気があり、2000年まで10年間にわたってOVAが制作された。
[106] 伊東岳彦 : 漫画家、イラストレーター。『宇宙英雄物語』『覇王大系リューナイト』、キャラクター原案で『NG騎士ラムネ&40』『KO世紀ビースト三獣士』など。伊東岳彦特集は'92年5月号。デビュー当初のペンネームは「BLACK POINT」で、カッコよかったんだよなあ。
[107] 桐嶋たける : 漫画家、イラストレーター。『極道くん漫遊記』(中村うさぎ原作)、『KO世紀ビースト三獣士』小説イラスト、など。桐嶋たける特集は'93年11月号。
[108] 島本和彦 : 漫画家。代表作に『炎の転校生』『燃えよペン』『アオイホノオ』など。『THE INTERVIEW SPECIAL 島本和彦』は'91年5月号。炎の転校生は、ビデオではなくレーザーディスクの発売で、オリジナル・レーザー・アニメーション(O・L・A)と表記されている。
[109] 林原めぐみ : 声優、歌手。'88年より『魔神英雄伝ワタル』忍部ヒミコ役、'89年より『らんま1/2』早乙女らんま役、'95年『新世紀エヴァンゲリオン』綾波レイ役、など。
[110] 佐々木望 : 声優。NG FIVEのメンバー。'88年より『鎧伝サムライトルーパー』水滸のシン役、'92年より『幽☆遊☆白書』浦飯幽助役、など。
[111] 日高のり子 : 声優、女優、歌手。'85年より『タッチ』浅倉南役、'88年『となりのトトロ』サツキ役、'89年より『らんま1/2』天童あかね役、'90年より『ふしぎの海のナディア』ジャン役、など。
[112] 矢尾一樹 : 声優、俳優。'85年より『超獣機神ダンクーガ』藤原忍役、'88年より『燃える!お兄さん』国宝憲一役、'90年より『NG騎士ラムネ&40』ダ・サイダー役、など。
[113] 魔神英雄伝ワタル : サンライズ制作のアニメ。'88年-'89年、続編は'90年-'91年。芦田豊雄の月刊OUT'88年2月号の表紙イラストを原型として制作され、キャラクターデザインは芦田。TVシリーズ終了後も人気は根強く、ラジオ番組(ラジメーション)として継続。月刊OUTにも投稿コーナーがあった。'97年-'98年と2025年に新シリーズが制作された。
[114] 魔法のプリンセス ミンキーモモ : 葦プロダクション制作による魔法少女アニメ。第一作は'82年-’83年。TVシリーズ第二作『魔法のプリンセス ミンキーモモ 夢を抱きしめて』は'91年-'92年、主役のミンキーモモのCVは林原めぐみ。
[115] 高山みなみ : 声優、歌手。'87年より『ミスター味っ子』味吉陽一役、'89年より『らんま1/2』天道なびき役、'89年『魔女の宅急便』キキ・ウルスラ役、'96年より『名探偵コナン』江戸川コナン役、など。
[116] かないみか : 声優、女優、歌手。'90年『アイドル天使ようこそようこ』田中ようこ役、'91年『きんぎょ注意報!』わびこ役、など。
[117] 森川智之 : 声優、歌手。'92年より『宇宙の騎士テッカマンブレード』Dボゥイ / テッカマンブレード(相羽タカヤ)役など。吹き替えではトム・クルーズ、ユアン・マクレガーを専属で行う。
[118] 草尾毅 : 声優。NG FIVEのメンバー。'88年より『鎧伝サムライトルーパー』烈火のリョウ役、'90年より『NG騎士ラムネ&40』勇者ラムネス(馬場ラムネ)役、'93年より『SLAM DUNK』桜木花道役、など。…なんだけど、OUT的には『ビックリマン』の牛若神帝だし、『スーパービックリマン』のフェニックスにほかならない。「サイバーぁ,アアアッップ!」
[119] NG FIVE : ’88年の『鎧伝サムライトルーパー』の男性声優5人によって'89年に結成された声優ユニット。トルーパーの女性ファンが熱狂した。トルーパーのボーカルアルバムでは『SAMURAI BOYS』」なんて名義だったんですよね。『ミッドナイト・パーティ』が作品と関係ないコミックソング的で好きだったなあ
[120] 聖闘士星矢 : 車田正美による週刊少年ジャンプ連載の漫画。'86年-'90年。TVアニメ版は東映動画制作、'86年-'89年。敵・味方とも多くの美形キャラクターが登場し、女性ファンが熱狂した。月刊OUTでもみづぼし巽らのパロディ漫画・投稿が人気を集めた。
[121] 竹村拓 : 声優。NG FIVEのメンバー。'83年より『銀河漂流バイファム』バーツ・ライアン役、'88年より『鎧伝サムライトルーパー』天空のトウマ役など。
[122] 西村智博 : 声優、俳優、シンガーソングライター。のちに芸名を西村朋紘に改める。NG FIVEのメンバー。'88年より『鎧伝サムライトルーパー』金剛のシュウ役など。
[123] 中村大樹 : 声優、俳優。NG FIVEのメンバー。'88年より『鎧伝サムライトルーパー』光輪のセイジ役など。
[124] らんま1/2 : 週刊少年サンデー連載の、高橋留美子による漫画。アニメ版はスタジオ・ディーン制作、'89年-’92年。OUTでは『乱魔的大々好々倶楽部』という投稿コーナーがあった。2024年にリメイク版が制作された。
[125] リスナーズ・カンパニー : ラジオ番組についての投稿コーナー。おすすめのラジオ番組や、受信状況改善方法などが載っていた。
[126] アニメラジオ番組リスト : '95年2月号付録の小冊子。
[127] アニカラデータ95春 :'95年5月号付録の小冊子。
[128] ニフティサーブ : '87年から2006年までニフティ株式会社が運営していたパソコン通信サービス。 話題ごとに分かれたフォーラムがあった。
[129] OUT版声優名鑑 : '93年8月号-'94年6月号で連載された声優名鑑。「過去に一度でも声優のお仕事をされた方を列挙してあります」とあり、インターネット黎明期の当時では貴重な資料だったと思われる。最終回は古谷徹スペシャル。
[130] 古谷徹 : 声優、俳優。'79年より『機動戦士ガンダム』アムロ・レイ役、'92年より『美少女戦士セーラームーン』タキシード仮面役など。OUTでは『南風クロスオン10m』というエッセイを'93年7月号より連載。
[131] アニラジグランプリ : オプトコミュニケーションズ編集、主婦の友社から発行されたアニメ関連のラジオ番組の情報誌。'95年11月に創刊、2000年に休刊。
[132] 声優グランプリ : イマジカインフォス編集・発行の声優情報誌。創刊は'94年11月。
[133] キャラソン : アニメやゲームなどのキャラクターが歌う楽曲のこと。
[134] ONE PIECE ニッポン縦断! 47クルーズCD : 『ONE PIECE』は週刊少年ジャンプ連載の、尾田栄一郎による長編漫画。アニメ版は東映アニメーション制作、'99年-。『ニッポン縦断47クルーズ』(2015年)は各県・キャラクターごとのCDシングルと、日本全国を東西南北に分けてそれぞれアルバムにしたものがある。 参考リンク
[135] 井上喜久子 : 声優、歌手。'89年より『らんま1/2』天道かすみ役、'90年より『ふしぎの海のナディア』エレクトラ役、'93年より『ああっ 女神さまっ』にてベルダンディー役、など。17歳(おいおい!)。
[136] まんぼう島ロケ : '94年9月号『That's まんぼう島』。井上喜久子のビデオ・CDジャケットの海外ロケ撮影に同行した取材記事。
[137] アニメV : 学習研究社から発行されたOVA専門のアニメーション雑誌。創刊は'85年、休刊は'98年。
[138] 久川綾 : 声優、歌手。'92年より『美少女戦士セーラームーン』にてセーラーマーキュリー役、'93年より『ああっ 女神さまっ』にてスクルド役、など。
[139] ああっ 女神さまっ : 月刊アフタヌーンにて連載された、藤島康介による漫画。AIC制作によるアニメOVA版は'93年-'94年。のちにWOWOW版、劇場版、TVシリーズと何度もアニメ化された。
[140] 青二プロダクション : 久川の所属する声優事務所。
[141] 連続インタビュー : 93年7月号より8ヶ月連続で1-2ページのインタビューがあり「いつの間にかシリーズ化していた久川綾INTERVIEW」と記載されている('93年9月号)。また’94年3月号から'95年5月号(休刊号)までは毎号なにかしらの小さい記事を掲載。
[142] LIVE IN 久川綾 : '95年5月号。久川綾のOUT掲載データがあり「でもアレ(※セーラームーン)がないのがOUTのポリシーだったりして」と書かれている。
[143] 宇宙の騎士テッカマンブレード : '92年-'93年に放映された、タツノコプロ制作によるSFアニメ。'75年の『宇宙の騎士テッカマン』を原作にしているが、設定やドラマ上の関連はない。
[144] 森川智之のT・Bレポート5 : '94年7月号。
[145] おさかなペンギン : 井上喜久子と岩男潤子による音楽ユニット。ユニット名の由来は、前世はおさかな(マンボウ)と信じている井上喜久子と緊張すると手がペンギンのようになる岩男潤子のユニットということから。
[146] シングルCD : 『アニメ雑誌の編集は3日やったらやめられない/おさかなペンギンのテーマ(OSAKANA-Mix)』ポニーキャニオン。小林本人によれば、オリコンチャートに載ったとのこと。
[147] 声優レアグルーヴ vol.1 : 監修・選曲:犬重&ISHII「声優レアグルーヴとは声優が歌う90年代〜2000年代前半の楽曲を中心としたタイアップ、ノンタイアップ、キャラクターソングの区別なく再評価するムーヴメント。和モノ(和製レアグルーヴ)、J-POP、アニソンなど様々な文脈の狭間で眠っていた数々の名曲をダンスミュージック基準+少しの思い入れで選曲したものである。」Amazonの商品説明より。
[148] 金曜アニメ館 : 2000年よりNHKで放送されたアニメ情報バラエティ番組。アニメ監督や声優をゲストに迎えて、アニメ作品とその舞台裏を紹介した。 参考リンク
[149] アニメぱらだいす! : '98年よりキッズステーションで放送されたアニメ系情報番組。開始時の司会は声優・歌手の飯塚雅弓と小林治。通称は『アニぱら』。
[150] おたっきぃ佐々木 : ラジオディレクター、パーソナリティ。文化放送の『ツインビーPARADISE』をはじめ、多くのラジオ番組を手掛ける。元OUT投稿者。
[151] 渋谷でチュッ! : '97年よりテレビ東京で放送された深夜番組。声優やアニソン歌手をゲストに迎えてのトークが中心だった。
[152] 新世紀エヴァンゲリオン : 庵野秀明原作・監督によるアニメーション作品。テレビシリーズは'95年10月から'96年3月まで。