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また来てしまったのだ。
あの寿司屋に。


なにしろ貧乏な僕が食える寿司といったら皿の上にのって
廻っているやつしかないし、そうなるとこのあたりではこの
呪われた店以外に行くところがないんだからしょうがない。

日本人として僕は生魚を食わずには生きて行けないのだ。
生魚の禁断症状というのは本当に恐ろしいもので、たとえば
サバを生でそのまま食うと全身にじんましんが出てしまうほどだ。
いや違う。
それは禁断症状と違う。自分でもなにを言っているのか
さっぱりわからない。

一体なにが僕にこのような見当違いな人生を送らせるのか。
それを確かめるためにも僕は寿司を食い続けなければいけない。

依然としてまったくわけがわからないのだった。


正体不明の決意にみなぎって僕は店のトビラをくぐった。



だが寿司屋は全員死んでいた。



サバを生で食ってしまっていたのだった。

なぜわかったのかといえば、食い残しのサバの頭がコンベアの
上をゆっくりと廻っていたからだ。
目が合うと、むこうはあわてて目をそらす。
そのうえご丁寧にも壁には
「今月の目標:サバを生で食べない!!!」
と書かれた張り紙がでっかく貼ってあるという始末。
まったく客をなめている。


見ると、床に倒れている一人にはどうやらまだ息があるらしく、
激しい断末魔の痙攣を踊っている。
もっとよく見ると、それは実は笑いの発作なのだった。
こういう所も、もうちょっとどうにかならないのだろうか。
憮然と見下ろす僕の前で痙攣がとてつもなく派手になってゆき、
ガッツンガッツンと椅子の脚に頭をぶつけたあげくに
静かになった。

いまや店内で意識があるのは客である僕ひとりだけらしかった。

こんなに狂った店なのに、僕はとにかく寿司を、寿司だけを、
求めていた。

この店いっぱいの阿呆どもがネタを全部食ってしまったのではないか。
突如としてわき上ってきた恐ろしい疑念を必死で振り払う。
本当に頭の周りで手を振ってしまった。誰も見ていなくてよかった。

もう僕の頭には寿司のことしかなかった。
あの、安い寿司に特有の、魚の脂のちょっとあくどいしつこさと、
箸でつまむとかならずボロボロにくずれてしまうシャリとが織りなす、
接待カラオケのデュエットのような場末のハーモニー。
寿司が、ただ寿司だけが、食いたかった。

 
なにがなんでもこいつらに寿司を握らせるしかない。 アイデアが降りてくるのはいつも前触れのない一瞬だ。 すばやい動作で僕は醤油差しをひっつかむと店内をぐるりと廻り、 個性的な姿勢で転がっている店員ひとりひとりの耳に醤油を注いで いった。 これだ。これしかない。 人間の耳の穴と鼻の穴は細い管で繋がっている。そこを醤油が静かに 下ってゆくさまを想像しながら僕は待った。 30秒ほどが過ぎた。 一番近くに転がっていた店員の目がくわっと開くと、鼻から黒い霧が ブッと吹き出した。「ご・ごえっ?」…濁った奇声とともに全身が 痙攣する。全員が同時に逆回しの動作で立ち上がると、眼はとれたての サバのように光っていた。 思った通りだ。醤油の香りが彼らの職業意識のスイッチを入れたのだ。 彼らはいっせいに動き出した。全員の動きが完全にシンクロしてまるで 一つの機械のように、早送りみたいな狂った速さで、すごい熱意とともに 大量の、いなり寿司をつくりはじめた。 そしていなり寿司をつくり、いなり寿司をつくってはいなり寿司をつくり、 さらにまたいなり寿司をつくるとかけ声も威勢良く、 「いなりずしいっちょう〜〜!」 「いなりずしいっちょう〜〜!」 「いなりずしいっちょう〜〜!」 「いなりずしいっちょう〜〜!」 「いなりずしいっちょう〜〜!」 「いなりずしいっちょう〜〜!」 「いなりずしいっちょう〜〜!」 「いなりずしいっちょう〜〜!」 あっという間にいなりでびっしりと埋まってぐるぐる回りつづける コンベアの中で、まだまだ彼らはいなりを作り続けるとそいつをもりもり 喰らったり奇声を上げながら全力をこめて握りつぶしたりお互いの顔に たたきつけたりマジックで顔を描いてなにか話しかけていたかとおもうと 突然おびえて投げ捨ててはまた次のいなりにマジックで顔を描いたり 店の床に丹念にいなりを敷き詰めるとカウンターから勢いよくその上へ 飛び込んで「ぐしゃっ」という音がしたきり全く動かなくなったり、 気が付くと僕は店の外に立っていた。 飛び散ったシャリが全身に点々と張り付いていた。 足が意志とは無関係に回れ右をし、そのまま僕はどことも知れぬ方角に 向かって歩きはじめた。 そう、コンビニにだって、スーパーにだって寿司はある。 だがすでに僕の心からはなにかが喪われてしまっていた。 僕は復讐を心に誓った。  

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