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乗り込んだタクシーの運転手の顔は鬼だった。


今どきのタクシードライバーはみんな物騒な客を威嚇するために
顔面の表情筋の下にちいさなフックを沢山取り付けて、
仕事のときにだけそれを引っぱり上げて人工的にこわもての表情を
つくるのが一般的になってはいるが、これはちょっとやり過ぎだ。
黄泉の国への案内人にむしろふさわしいというか、ミスター般若マンと
いうか、イッツアスモール阿鼻叫喚というか、ストッキングを
頭からかぶって思い切り引っ張り上げた感じにもちょっと似ている
というか、運転席横の写真にもおんなじ顔で写っていると
いうのは一体どういう事なんだろうか。


そういう形相に出会った当然の反応として、僕の上体は小刻みに
震え始めた。
つまり、笑いを必死でこらえていた。
運ちゃんの上半身も小刻みに震え始めていた。やはり笑いを
こらえていた。左右の顔筋が微妙に違うピッチで痙攣している。

「……あ、あの、そろそろ発進してください」
「ぷっ!」

運ちゃんがいきなりアクセルを踏み込んだから僕の首はほぼ直角に
後ろに折れ曲がった。直後に車は右に折れ、僕の首は左に折れる。
「ぼきっ」


僕は黄泉へと旅立った。



「…お客さん?お客さん?」
「それ切んないで!それが頼りだから!それ切るとあの世にサラバだから!」
「え?どれを切るんですか?」
「だから切んないでってば!ちょっ」

霊界通信の回線は細い。
エクトプラズム一本で本体とかろうじて繋がっている僕だった。
タクシーの上空に浮かんでネオンの町を引き回される珍道中。そういや
まだ行き先も言ってなかった。

「涅槃じゃないですよ!涅槃じゃないですからね!?」
「高速乗りますか?」
「涅槃に向かってるんじゃないって言ってくださいよ!」
「わたしちょっと道わからないんで教えてもらえますかね、お客さん」


道がわからないなら一安心という事か。いやそうかな。


信号や歩道橋がビュンビュンこちらにぶつかってくるので
生きた心地がしないというか実際半分死んでるというか、
ふとメーターがどこまで上がってるか気になりだしたがここからじゃ
見えない!どうする?


そのとき、眼下のタクシーが飛び出した子猫をよけようとして大きく
ハンドルを切り、見たこともない華麗なスピンを開始した。
屋根のてっぺんのランプを中心にタクシーはくるくるくるくる回りながら
道路をまっすぐ走りつづけた。本体と魂をつなぐエクトプラズムのひもが
ぐるぐるぐるぐるとゴムのようにねじれ始めた。ちぎれるんじゃないかと
いうくらい巻き切ったところで今度は僕の幽体がぐるぐるぐるぐるぐるぐる
ぐるぐるぐるぐるぐる回り始める。ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる
回って回って回って回って回り続けながら車は夜の街をなおも走り続けるの
だった。なんかもうものすごくどうでもよくなってきたのだった。





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