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「ふっふっふっふっふっふっふっふっふっふっふっふ。
よく来たな小僧。ここは地獄の字田中。地名どおりでそこら中
どっちを見ても田ンぼしかねえけどあれだぞ、田植えの時期に
なるとこの田ンぼ全部に水じゃなくて人の生き血がなみなみと
注がれて、そらもう凄まじい地獄絵図に早変わりっつうわけよ。
あとあれだ、田ンぼの真ん中に細い板を渡してその上を自転車で
走ってどこまで行けるかっていうのを祭ん時にやってる。
けっこう観光客が集まるんだこれが」

…って腰がちょっと曲がってて麦わら帽子の下には手ぬぐいかぶって
モンペの裾をゴム長靴の中にたくしこんだ姿で歳より老けたシワ面の
おっさんが凄みをきかすのでここは本当に地獄の、地獄の、
えーと、なんでしたっけ?
「字田中」
そうそう、字田中。‥‥「あざ」って。

僕は自分のアホ面を左右に回転させてパノラマ状に景色を眺めた。
突然田ンぼと熱烈な恋にでも落ちてしまったかのように、僕の目には
田ンぼ以外のなにも映っていなかった。遠くでカラスが鳴いていた。


そうだ、うちに帰らなきゃ。


「ここはバスは1日に何本くらい…」
「ああ?いちんちに何本も通りゃしねえっての、こんな田舎でよ。
まあ3日に2本ぐらいと思っとけば間違いねえっつうとこかな」
「…ほんとに日本なんですかここは?」
「だから地獄だっつの」

日本…地獄…それは同じところじゃないんでしたっけ?
もうなにもわからない。そもそもなんでこんなとこにいるんだ俺は。

「死んだんだべ?」
「…うそお!?」
「みんなそう言うんだ」
「だって息して…あれっ?」

なんか息がスースー漏れるような気がすると思っていたら、僕の
胴体の真ん中にはでっかい穴があいているのだった。猫ぐらいなら
簡単にくぐり抜けられそうな大きさだ。

「死人には区別のためにパンチで穴をあけとくんだよ。わかりやすくて
いいべよ」
「‥‥わかりやすいですね」

ああ、俺はきっと死んだら地獄に堕ちるだろうなあ、と密かに心に
呟いたことがいままでに何回ぐらいあっただろうか。それらがすべて
カウントされていて、そうして僕はいまここに居るのだろうか。
何だっけ。何やったっけ。

「あの、僕はどういう罪でここに送られ…」
「いまおめえの頭ん中じゃ今までにやらかしたチンケな悪さが色々と
フラッシュバックしてんだろうけど、まあトータルで言えば、
おめえの罪ってのはズバリ、役立たずだったってことだな」
「‥‥」
「何ニュートラルな表情になってんだ」
「いや、なんか何と言えばいいのか…」
「あんまり悪いことしてねえ奴はこういう僻地に送られる
事になってんだよ。凶悪な犯罪者ほどピカピカの高層ビルが建ち並ぶ
地獄の大都会に送られんだよな。そんでそこではよ、ハイテク仕掛けの
残忍きわまりないトーチャー・マシンが繰り返し奴らを切り刻み、
この世ならぬ苦痛を永遠に与え続けるんだよ。おめえなんか
軽犯罪もいいとこだっつうのよ」
「今思ったんですけど、地獄の都会ってガラガラなんじゃないんですか?」
「おめえも思ったほどバカじゃねえらしいな」
「そんで、逆に田舎は人口過密になってるはずですよね」
「いやそうでもねえな」
「なんで?」
「地獄は広いんだよ」
「‥‥」
「ふたたびニュートラルな表情になる、と」
「なにメモってんですか」
「勘違いすんなよ、これはエンマ帳じゃねえからな」
「じゃ何なんですか」
「まあいろいろメモしとくんだよ」
「‥‥で、僕の、なんというか、受けるアレは…?」
「きさまに5秒間だけ考える時間をやろう」

おっさんは意味ありげにあたりを見回した。

「‥‥‥あああ〜〜っ、田植えかあ」
「膝まで人の生き血に浸かってだぞ。ちょっとした重労働だべ」
「っていうか、そもそも血の池で稲は育つもんなんですか?」
「飲み込みのわりい若造だなおめえは。生産性とこれっぽっちも縁のない
人生を送って来た人間が、なんで死後の世界において生産的でいられる
わけがあろうかよ。おめえが苦労して一反植え終わったら、オレがその
後それを機械でダーッと引っこ抜くんだよ。そんでまた最初からやり直す…
っつうのを永遠に繰り返すに決まってんべよ。まあ賽の河原みてえなもんだ」
「なんか地獄かもしれない」
「何ともショボい地獄でおめえにピッタリだわ」

日は早くも傾き始めていた。なんともショボい気分になってきた
ところでおっさんがまた口を開く。

「とまあいろいろ言ってきたところで、どうやらお開きの時間のようだな」
「は?」
「そろそろおめえの目が覚めるんだよ」

「…えっ、じゃ、これって夢オチなんですか?」

「いやいやいやいや、何言ってんだ。夢オチがどうたらとか、そんなことは
どうでもいいことなんだっつうの。ポイントはそこじゃねえんだ。
バーチャルであるかないかに関係なく、全ては等しく体験なんだっつうのが
このお話の肝心なとこなんだ。現実の出来事だろうが、夢だろうが、
何もかも一緒くたに記憶として無造作におめえの脳に棲み着いて、
その後のおめえの人生のハンドルを右に左に、勝手に切り回すんだよ。
加えて、この舞台設定のショボさもおめえの想像力の貧しさを
反映してのことであるというを忘れちゃいけねえぞ。
この実りのない体験からおめえが現実世界に持ち帰るのは、
ある一つの、口に出すのも恥ずかしいくらいに陳腐な決まり文句だ。
それが何かは言わないでおいてやっけどもよ」
「だから、要するに、これはなんでしょ?」
「いいや、人生だ。現実も夢も等しく人生なんだ。
こうしておめえが地獄に立っている以上、地獄もまた人生だし、
人生はまさしく地獄なんだっつうことよ。わかるか?ん?」
「全っ然わかりません」
「まあしょせん夢だしな」


突然、あっという間に日は落ちた。オレンジの夕日が山の向こうにバスケ
のフリースローみたいにすぽんと飛び込むと、あたりは何も見えなくなり、
気づけば僕は横に寝ていて、体の下には堅いタイルの感触があった。
足早に通り過ぎる足音から、どうやらここは駅の構内らしいと悟った
次の瞬間、昨夜の記憶の一切合切が轟音とともに脳裏に激突した。

 
酒だ。 僕は堅く目を閉じ、夢の世界へ、あののどかな地獄の田園へ、戻ろうとした。 昨夜のすべての記憶がここにあり、消しようのない、100%の体験で、 人生と地獄は同じものだった。人生は地獄だった。その陳腐さにまたぞろ 反吐がこみあげてきた。  

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