待てずに読んだ



 
のろのろと進む読書の記録

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#20030913

 George Alec EffingerBudayeen Nights」。

 注文していたジョージ・アレック・エフィンジャーの短編集が届きました。
 バーバラ・ハンブリーという作家が序文と各短篇へのコメントを書いています。初めて知った名前でしたが、ファンタジーの読者にはけっこう有名なのでしょうか。エフィンジャーもファンタジー畑の人だったというのを、これまた初めて知りました。
 著者写真に写っているのはハヤカワ文庫カバーのあのお茶目なターバン姿ではなく、恐らくはもっと若い頃の、片手にバンジョーをもってにっこり笑う、放浪のミュージシャン風な長髪ヒゲの青年でした。

(短篇集の序文から抜粋)

 自分がサイエンス・フィクションの作家として言及されるたびに、ジョージは驚いていた。

 デーモン・ナイトの庇護のもとでデビューを飾った作家としては、もちろんそう受け止めるのが自然なのだ。そして、その晩年にかけては、ジョージはサイエンス・フィクションのパレットを使ってファンタジーの物語を語ってきた。

 ブーダイーンの設定は、「重力が衰えるとき」を書く過程の中からとても自然に生まれてきたものだ。ジョージにはとても暗い側面、裏社会と花街への愛着があり、私が思うにそれは、クリーブランド時代にジョージの母親の友人たちの大半が娼婦やストリッパーだったことからきているのだろう。十代始めのころ、ジョージは彼女たちのダンスを眺めて過ごしていた。(初めてニューオリンズを訪れたときのことを、いまでも憶えている。ジョージとバーに座り、ウェイトレスと喋り、お立ち台の上のダンサーを眺めていた。ジョージが身を乗り出して、私に「この部屋には生物学的な女性はきみ一人しかいないんだぜ」と耳打ちしてくれた)

 ジョージはムスリムの友人に草稿を読んでもらったが、やがてあるときイスラム共同協会[*原文はIslamic Cooperative Associationだが、日本語での呼称は不明]の職員が電話をよこし、自分たちの信仰と文化に対してジョージが表した敬意を讃えてくれた。(「もっとも我々はリベラルなスンニー派ですからね」と電話の主は付け加えた。「シーア派がなんと言うかは知りませんよ」)

 人生最後の十二年間、ジョージには創作に打ち込むことを妨げるものが数多くあった。ドラッグ、慢性疾患の痛み、アルコール、そして抑鬱がジョージのエネルギーと集中力を吸いとっていたのだ。コンピュータの画面上で同じ三つか四つの単語をもてあそぶばかりで過ぎてしまったり、友達に長いメールを書くことにあけくれたり、シャルトル街のクラブを流して歩くようにインターネットをただぶらつくだけで過ぎてしまう日々があった。そんな有様を見ると心が痛み、ジョージを知る者はみな、思いつく限りの手だてを講じようとした。
 けれどもちろん、なにひとつ効き目はなかった。そううまくいくものではない。


(短篇「シュレーディンガーの子猫」への序文)

 これは、ジョージのブーダイーン短篇群のなかでおそらく最もよく知られた作品である。深くあまねき恐怖を扱う――そしてそれを克服してみせる――ことによって、読んだ者のほとんどすべての心の底ふかい琴線に触れ、ヒューゴー、ネビュラ、そして星雲賞を受賞した。

 死への恐怖、変化への恐怖、自分自身を無惨な運命へ追い込むような過ちを犯してしまうかもしれないことへの恐怖。それは、多かれ少なかれ全ての子供が心にいだく恐れだ。それによって、シュレーディンガーの哲学的なイメージ――観測者が箱を開くことによってのみ生死が定まる――が、分かれ径の無限と、希望と運命のおりなす諸相へと再構築された。同じ題材をあつかったものは他にも――ラリイ・ニーヴンの「時は分かれて果てもなく」を筆頭に――あるが、読者にもたらされるものは異なっている。
 それは、物語を組み上げるときに、ほとんどあらゆる作者の心のなかで起こっていることなのだろうと、私は思う。作家たちの眼には、自らの人生もまた同様に、非情なまでに無限かつ等価な可能性を持ったものとして映っているはずなのだ。
 いくつかの世界で、ジョージは医者になった。
 いくつかの世界で、ジョージは野球の選手になった。
 いくつかの世界では、ジョージも、誰もがそうしたいと願い、そうできていたらと振り返るような、しあわせな人生をいつまでも送ることができた。

――バーバラ・ハンブリー


 つい訳さずにはいられませんでした。本編の感想は読後に。




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Akiary v.0.51