(藤ふくろうさん発案の海外文学・ガイブン Advent Calendar 2020に参加しています)


神は変化なり/ブレインチャイルドの呪縛――オクテイヴィア・E・バトラーの「播種者の寓話」


2021年に竹書房から二冊つづけての刊行が予告されている、オクテイヴィア・E・バトラーの長編二部作「Parable Of The Sower」「Parable Of The Talents」を紹介します。

日本では翻訳に恵まれていなかったバトラーですが、上記の二冊が出ることになり、一方、作家の生国では二つのドラマシリーズが制作進行中で、2021年はバトラーの当たり年といった感があります。僕は、もうだいぶ前なのですが、著作の大部分を(長編をたしか12作あるうちの10作までと、短編集を1冊)読んだ程度にはファンなので、刊行をとても楽しみにしています。
(こちらにリストがありますが、これまで訳されたのは長編1作、短編3作 → https://ameqlist.com/sfb/butler_o.htm
SFファンのあいだでは『80年代SF傑作選』(早川SF文庫)に収録された短編「血をわけた子供」がよく知られていて、僕もこれに感銘をうけて原書を漁るようになりました。ガイブン的には長編『キンドレッド』のほうが喜ばれるかもしれません。

バトラーはアフリカ系アメリカ人で、作品のほとんどがその出自と深くかかわるものです。とくに、「slavery」の一語が多くの作品で主題をなしています。現実に存在した制度としてのそれにとどまらず、個人どうしの関係や、個人と病の関係、異なる種族や文明のあいだにあるもののなかに、支配・被支配の暴力を見出し、物語の核としています。作中ではしばしば身体や精神の変容が扱われ、これもバトラーの大きな特徴なのですが、やはり「slavery」の文脈に接続されています。




「Parable」二部作は、2020年代のアメリカを舞台にしていて(作品が書かれたのは1990年代ですが、現実の時間が追いつきました)、作中で描かれる社会の荒廃に現代アメリカの惨状を連想させるものがあるので、「いま読まれるべき」という惹句がいかにも似合う作品ではあります。社会がいかに簡単にこの作品のようになってしまうか、いまほどリアリティをもって受け止められるときはないでしょう。
ただ、個人的にそれ以上の読みどころだと思っているのは、これが奇妙な信仰の物語であるところ、そして「書くこと」にまつわる呪いの物語であるというところです。

中心となるストーリーは、2020年代なかばの、文明は維持されていながらも無法が横行し荒廃したアメリカを舞台に、18歳の黒人女性である主人公が過酷な状況のなかであたらしい信仰をつくりあげ、大きな宗教へ育ててゆくさまです。
物語はおもにこの主人公の手記として語られ、彼女の書いた「経典」であるところの「EARTHSEED: THE BOOKS OF THE LIVING」からの抜粋が随所に挿入されます。
たとえばこんな――

All that you touch
You Change.

All that you Change
Changes you.

The only lasting truth
Is Change.

God
Is Change.


主人公が「アースシード」と名付けたこの信仰・世界観を象徴するのが、「God Is Change」というフレーズです。神は〈変化〉である、と。
世界の不毛さ、理不尽さの背後に神の大いなる意思があると考えて慰めにするのではなく、神は意思をもった存在ではない、世界の本質は変化することそのものであると考え、それに加えて、人類の使命は、この変化を乗りこなし、滅亡の危機を回避して、宇宙へみずからを播種することである、と説きます。アーサー・C・クラークの小説のような、巨大な宇宙船での他星系植民を主人公は思い描くのです。

まさにSF、といった遠大なビジョンを主人公が抱いているのと対照的に、物語自体は地を這うように進みます。キリスト教系右派が国政を牛耳り、治安が極端に悪化し、ドラッグで狂暴化した人間による放火と無差別殺戮が警察力をあてにできない主人公たちの居住地を脅かし、大きな破局が迫ります。
精神的にも身体的にも追いつめられながら、主人公は、手記を書きつづけることによって心を保ち、書くことを生存のよすがにします。経験したこと、考えたことをなにもかも記録し、書くことによって考えを深め、やがてそこから「アースシード」が生まれるのですが……

この大きな着想、(作中の言葉ではないのですが)ブレインチャイルドが、ある面においては主人公を救いつつ、大きな不幸を招きもします。ブレインチャイルドを棄てられないばかりに大切なものを失う、という状況に主人公は直面することになります。

ふたつの長編は、おおむね、一作目が「書くことによって/ブレインチャイルドによって主人公が救われる」、二作目が「それらによって主人公が呪われる」、という対の物語になっていて、一つめの作品できれいに閉じられたと思えるところに二つめの作品が違う光をあて、両者をあわせなければ成立しない作品として完成する、というつくりが見事に決まっています。


(作品の魅力を語りたいばかりにネタを明かしすぎてしまう、という陥穽を避けようとして結局わかりにくくなっちゃったかな、と、ここまで書いてみて思いました。修行が足りません。 ……読んで!!)

ざっくりと自分の記憶をたよりに紹介しましたが、英語版のウィキペディアを覗いてみたら、各長編に詳細なページがつくられていて、本国での評価の高さを感じました。日本でも再評価が進むことを願っています。『キンドレッド』も復刊してほしいな……

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